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なでしこジャパン 世界一の感動 未だ冷めやらず。
今回の女子サッカーワールドカップは、決勝トーナメントのドイツ戦からすべてテレビ観戦したが、いずれの試合も外国勢より体格が劣る日本の選手が、最後まであきらめない気力と、体力負けしない守備と攻撃で勝ち得た見ごたえのあるものだった。日本人だけでなく、全世界の人が大感動した。
外国メディアは、日本代表のワールドカップ優勝について、単なる勝ち負けではないもっと大きなものを背負い、ひたすら走って、ひたすら粘った「なでしこ」たちの勇姿に、大震災と原発事故でうちひしがれていた日本の復活宣言を見て取ったようである。
点を取られたらすぐ取り返す。そして走り続け粘る。あきらめない。想いをこめて決める。そんな感動的な試合を見せてもらって、大感動でした。あの表彰式で、金色の紙吹雪が降りしきる中、ブルーのウエアに身を包んだ満面笑みの「なでしこ」たちが、優勝カップを高らかに掲げたあの姿は、一生忘れることはないだろう。
米スポーツ専門局「ESPN」は、澤選手の同点ゴールの場面でコメンテーターが「大会でいちばん小さいチームの日本が、こんな巨人のように戦うなんて誰が予想したでしょう」と興奮した調子で語り、「前半が終わった時点で、どちらが『運命のチーム』なのかは明らかだった。それはアメリカではなかった」と。またアメリカの名GKホープ・ソロ選手が試合後に「今大会は本当に私たちが勝つものと確信していました。ずっとそう思っていました。けれども同時に、何かもっと大きいものが日本を応援していたと思います。この大会を代表するチームは日本でした。どうせ負けるなら、日本相手に負けを認める方がいい。実に優れた、風格のあるチームで、ものすごい情熱でプレーするので。みんなどこまでも戦って戦い続けていました」とコメントしていたことも紹介。それを受けて記者は、「確かに、たとえどんなに熱狂的なアメリカ・ファンだったとしても、3月の悲惨な地震と津波を経験した日本が勝ったことに、少しでも満足感を覚えない人がいるだろうか?」とまで書いている。
外国の多くの人たちは、大震災に遭った日本を応援してくれていたのだと思う。そして「なでしこジャパン」が、その応援に見合うだけのプレーをしたからこそ、同情以上の敬意を獲得した大偉業といえる。
私がサッカーを初めて知ったのは、息子二人が浜松の佐藤サッカースポーツ少年団に入団したころで、毎週のように日曜日の試合について行った記憶がある。当時のチームは、全日本代表にまで選ばれた武田修弘選手がいて、大会のたびに優勝か上位に位置した強豪チームで、長男が小6、二男が小4のときには、父母の会副会長として子供たちの支援に携わり、東京・京都・山梨・大阪などに招待されて遠征したこともあった。また、カメラの特技を生かして、小学校卒業時には、卒業生一人一人のプレー姿を、自分で現像してモノクロの写真パネルにしてあげた。いまその子たちは、結婚して子供が出来て、その子供たちもサッカーをしているかもしれない。うちの小3男子孫も、町田のサッカーチームに入っているが、親に似ず優しい性格が災いしてか、攻撃的プレーが苦手なようである。ちなみに、その孫とそのお姉ちゃんの名前に穂と希という字が入っており、得点王とMVPを獲得した澤穂希主将のお名前を、一文字ずついただいたような気分でした。
恥ずかしながら、今大会まで女子サッカーに関心があまりなかった。試合時間も男子と同じ前後半45分ずつ戦うとは思っていなかった。「なでしこ」がアメリカとの決勝戦で、延長戦まで入れて120分戦い抜くなど想像もできなかった。女の子で、あの小さな体で、最後まで走り抜くことができるなんて凄いことなんだと思う。ドイツ戦の前だったか、監督から大震災のビデオを見せられて、奮い立ったこともテレビで聞かされた。世界の頂点に立ったものの、女子サッカーは環境設備や待遇面で恵まれていないが、この機会に少しずつでも選手一人一人の生活が改善できるよう願ってやまない。夢と感動を与えてくれたお礼と、選手たちの努力に報いるカタチがあちこちで沸いてきてほしい。
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