土曜の朝、07:30過ぎ、到着、春らしい淡い光の中、先ずは足もとから観察と
「地を這うスタイル」で撮影していると……
『おうおう、兄さん、なかなか感心に下から目線じゃあねえか』
と後ろからチャチャチャという足音が……
『桜なんぞ、撮ってねえでオレを撮れよ!』
私 『もう堪えてくださいよ、兄さんらあの、落とし物で足もと注意なんですから』
『フン!そりゃあ俺にじゃあ無く、紐で繋がっている飼い主様に言いな』
『なんたって俺たちゃあ、看板読めないんだからよう』
私 『全く、犬畜生にも劣るったあ、このことだ』
始めは庶民が自ら、後に藩も加わって築かれた築屋敷完成は文政9年(1826)
龍馬誕生の天保6年(1836)~ 日根野弁治の道場に入門した嘉永元年(1848)頃には
このような石垣の景観を見せていたと想像される。
南側の堤防は勿論、桜並木も無い代わりに、鏡川の河原には竹藪が広がっていた。
男子社会の質実剛健さは何時しか消え失せ、年金生活者は朝から花見の段取りに勤しむ。
唯一の救いは花びら舞うなか、颯爽と通学する女子の明るさのみである。