性格ながらと申しますか、小説を読んでもドラマを観ても食事の場面は特に注視
する癖が付いてきているようです。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」既に第二
回まで放送されましたが、原作を端折る事無く、忠実に再現している様が見受け
られます。
第一回の放送では、好古10歳の春、明治維新が起こり佐幕派であった松山藩に
土佐藩の兵隊、約200名が進駐「15万両の償金拠出を迫る件」についても重要な
史実として描かれている。今となっては土佐に於いても別段、語られることも無く
若い方に限らず、ご存知でない方が多いのでは、と思われるが伊予人、特に明治
維新の辛酸をなめた、この時代の若者である秋山兄弟にとっては「なにくそ」と奮
起したのも当然であろう、という時代背景が見えてくる。
食の視点に話を戻そう。
第二回目放送分で真之が海軍兵学校に入校した後、ライスカレーが昼食に登場
する件、原作は以下の半ページ。
《明治十九年十二月の寒い日、真之は築地の海軍兵学校に入校した。
この日、真之ら五十五人の海軍生徒の目をうばったのは、築地東海岸に錨をおろ
している軍艦「筑波」であった。
「あれが、われわれの練習艦だ」と案内役の古参生徒に説明されたとき、このわ
ずか、二千トン足らずの軍艦に山を仰ぐような威容が感ぜられた。
それよりも入校生たちの驚異だったのは、その日の昼食にライスカレーが出たこ
とであった。その名前さえ知らぬ者がほとんどだったが、真之は大学予備門の生
活でこういうものには馴れていたから、めずらしくもなく食った。
さらに一同を当惑させたのは、洋服であった。洋服を着用する経験は真之以外は
みなはじめてで、なかにはシャツのボタンをどうはめていいかわからず顔を真っ赤
にして苦心している者もいた。真之はさっさと洋服を着た。
そういう様子を見て、「秋山、おまえは洋行がえりか」と大まじめにきく者もいた。
それほどこの当時の日本のふつうの生活と海軍兵学校の生活には差があった。
いわばこの築地の一郭五万坪だけが生活様式として外国であったといえるであ
ろう。》
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そして映像の美しさというか、小説の一頁に書かれている情景をこれ程までに映
像として具現化できる技術、技量の素晴らしさに感銘をうけたのは、上記の前の
シーン(子規が真之の置き手紙を読む下宿の二階)でした。
《この月の最初の土曜日は、雨だった。子規は学校から下宿にもどると、
――正岡常規殿 と見おぼえのある筆跡でかかれた封筒が机の上にのっている。
(なんぞな)とおもってひらくと、はたして真之の手紙であり、子規はおもわず窓ぎわ
へ走った。障子をあけ、そとの雨あかりを入れてひらくと、手紙は数行であった。
「予は都合あり、予備門を退学せり、志を変じ、海軍において身を立てんとす。
愧(は)ずらくは、兄との約束を反故にせしことにして、いまより海上へ去るうえは
ふたたび兄と相会うことなかるべし、自愛を祈る」
という意味のもので、この年齢の若者らしく感傷にみちている。》
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因みにドラマは第二回目の放送で原作の第一巻をほぼ、網羅するペースで進んでいる。
なお、一層今後の放送(或いは日曜の夜)が楽しみな今日この頃なのである。
[関連リンク]
※NHK番組公式サイトは→此方
※「坂の上の雲」マニアックスファンサイトは→此方
全てをという訳にはいきませんねえ、第三回目から少しテンポが速まりました。
加藤剛、歳を取りましたね、伊藤博文があんなに軟弱だったとは原作を読む迄
存じませんでした、適役です。
小説中の登場人物は千人を超えるようです、絞り込んでも220人位いますから解
説本というか、文藝春秋などの臨時本が多く出ている訳もそこら辺りに有りそう
ですね。
伊藤博文を演ずる加藤剛がすばらしい。実は2度ほどお会いしたことがありますが、正直演技がお上手という印象はあまり無かったもんですから(いつも役柄は決まってるじゃないですか)、いつになく細やかな演技を見せられて、またまた驚きです。
だいぶ登場人物が増えてきましたね。