朝日記140627 映画『ノア 約束の舟』のことから
Asaniki 210611 増補版 酒神礼賛(Autographic)シリーズ 2021-08-13
みなさん おはようございます。
関東各地で積乱雷雲 局地豪雨が暴れています。
話題としては現象が近いので気になりますが、以下、映画鑑賞「方舟」の報告です。きのうは一日 創世記読みをしていました。映画のときは、なにか メモをのこすことを自分に課していますので以下ご辛抱ください。
徒然こと 『ノア 約束の舟
The End of The World …Is Just The Beginning』
『ノア 約束の舟』の視点
(English summary)
NOAH The End of The World …Is Just The Beginning
Noah had deeply hurt himself and got pains in his mental side. Because he had no choice and then did disregarding to save other human’s lives, left in the flood. This movie is primarily paying Noah on this point, which The Bible gives no concern with this side. Noah were supposedly having a strong desire that the new beginning world be to start with animals saved, but no human, and no by-attending by human. The world would constitute exactly of innocent beings like any cattle and wild animal, but without human.
But the Divine had finally showed breaking his desire and ….. These scenario will make semantic sense of reality shadowing to our World now.
~~~~~(映画からの徒然こと)
監督 ダーレン アロノフスキー( Darren Aronofsky)
ノア ラッセル クロウ( Russel Crowe)
ノアの妻 ジェニファー・コーネリー(Jennifer Connelly)
ツーバ・カイン レイ・ウィンストン(Ray Winston)、
ノアの祖父 アンソニー・ホプキンス(Anthony Hopkins)
アダムの息子 カイン(Cain) アーベル(Abel) セト(Seth)
ノア(Noah)は セトから8代目 息子セム(Shem) ハム(Ham) ヤフェト(Japheth)
ノアの祖父はメトセラー
<映画のストーリー>
宿敵 ツーバル・カイン(Tubal-Cain)は、弟のアーベルを殺し、呪われたカインの六代目の末裔です。
カインの末裔が人類の中心であった。 かれらは 神の意志と異なる悪の社会をつくる。神は この世界に人間を造ったことを、いたく後悔する。そして、ノア一族と各動物の七つがいを残して、他のすべてを滅亡させる決意をします。このことをノアの夢のなかであらわされる。
(神が後悔するという記述に 目が留まります。 あとで触れます)
*映画は 神はいっこうに人間の期待に応えてくれないとして、自らの意志で世を治めるとするカインの末裔の横暴を映します。弱肉強食で痛めつけられる他の部族の様子。そのなかで、大草原にあるノア一族のつつましくも 優しいすがたを映し出されます。 また、創世記には人間の女に 魅せられた「神の息子」たちの子孫である岩のかたまりようなの怪物(ephilem)?も映し出されます。アニメゲームのようなのが出てきます。
*夢のあと、まもなく 大地からの水源が興され、川がつくられる。木材となるサイプラスが生え、巨大な樹林を作り出す。 方舟の構築には 上の怪物(ephilem)たちが はたらく。
今回、この映画をみたのを絶好の機会として 旧約聖書の創世記を丹念によむことになりました。 方舟は、この創世記の第6章から8章にかけて記述です。 いまに生きる我々にとって、この中のどこをとっても今につながる課題切り口を提供してくれておもしろい。
<方舟のこと>
*筆者は、かつて商船大学での外洋船運転の基礎教育をうけたこと、また、あと化学企業で技術開発にて糧を食んだこともあり、自然と目の赴くところにその特徴が出てくるようです。ここに書かれている方舟の記述を紹介しておきます;
*まず、方舟の船体の大きさや材料についてですが、その寸法全容は 133メートル長、幅22メートル、13メートル高さとなります。戦艦大和をとりあげますと 263メートル長、8.9メートル幅、吃水10.4メートルです。 方舟は全長が半分ですが、幅が 2倍程度あるから 容積的には互角の陣容となります。
*神はノアに命じて、「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。」 これは日本のキリスト教の新共同訳からの出版聖書です。
「あなたはサイプレス(cypress)の木をつかって方舟を自分で造りなさい。方舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもピッチで覆いなさい。」 これは 英語版(新オックスフォード版)からの訳です。(そういえばアメリカの地名や建物名でこの木の名前のものに よく遭遇した記憶がのこっています。)
*まず木材の材料名としてゴフェルの木とサイプレスの木のふたつが上がりますがゴフェルは葦材のことであり、サイプレスは糸杉材のことで 構造のイメージの違いが思いをかきたてます。
<アスファルトのこと>
材料のことでひとつ目にとまるのは 水止めと腐食止めの材料として タールやピッチが記される。まず、タールとピッチは調べます。 ギリシャ・ローマで これがアスファルトという名称でよばれていていることを知る。そして、我々の意識はただちに現代の文明を象徴する道路材アスファルトへ一気につながります。 人類文明の根の深さを思い知らされますね。
*メソポタミア・シュメール(紀元前2600年ごろ)のギルガメッシュ遺跡のなかに 大洪水の記述があります。英雄アラハシスの葦船として、ノアの箱舟に先行する記述です。
*紀元前1700バビロンのアガーテ時代のタブレット遺跡で アスファルト(ビトウィメン)に関する文字がみられる図があります。紀元前625年頃 バビロンで道路建設材としてアスファルトが使われた記録があり、バビロンの王宮から市の北壁まで レンガとアスファルトで行進道路がつくられたといいます。アスファルトは安定secureを意味し、古代ギリシャがこれを使いこなしていて、その特性に馴染んでいたことがしられる。 ローマでは さらに一般化して 浴場、貯水、水輸送ダクトの材料としてつかわれた。
*世紀がさらに下って、ヨーロッパは新大陸への探検のひとつとしてアスファルトの鉱脈をもとめた。たとえば ワルター・レイリー卿は、1595年にトリニダード島やヴェネズエラ沿岸にそれを発見し、船舶のリ・コーキング材としてアスファルトを使用したそうです。だいぶ方舟から遠くなってしまいました。
<神の「後悔」のこと 旧約聖書創世記をのぞく>
さて、 神のこの洪水の決めさせた 箇所を和と英の聖書で以下に記述する;
*「地上に人を造ったことを 後悔し、心を痛められた」(新共同訳 創世記6.6)
*ことばあそびとして「後悔」を牽く。
「後悔」 あとになって悔やむこと;「後の悔先に立たず」。 してしまったことは悔やんでも取り返しがつかない。(大辞林)
*‘And LORD was sorry that he had made humankind and it grieves him to his heart.’
(主は 自ら人類を造ったことを悲しみ また自らの心に重い悲しみをおかれた)荒井訳
(オックスフォード版)
‘And it repented the LORD that he had made man on the earth, ….’
(主は、地上にひとを造ったことの失望感にはげしく心を痛められた)荒井訳
先月であったか、システィーナ寺院のミケランジェロのフレスコ画で ノアの洪水を図書館でスケッチしました。 押し寄せる濁流から高台の岩に、方舟にすがる群像に見る目が圧倒されたものでした。
この壁画の下に ラテン語で E il Signore si penti aver fatto l'uomo sulla terra. 「神は ひとを造ったことを悔やまれた」と記されていました。
このときの筆者は 全能の神が 「後悔」するという句が妙に自分のなかでミスマッチしている感が拭えずにいまに至っていることを告白 しておきます。
(後記) repent という語のなかに remorseという説明を英々辞典でみますが、pentそのものは penser(思う、考える)からきていますから 日本語で「後悔」の語を当てるのは 誤訳になるかもしれませんね。神がみずからの失敗を認める意を含んでいます。 I am sorry. も なにかについて悲しいということで これも「後悔」とするのは 飛び過ぎかもしれません。 むかし アメリカにいたとき 私の子供が風邪をひいたとき アメリカ人の友人が I am sorry.といったことをふと 思い出しました。
<映画をレビューして ~~ パラドックスからの軸足>
~~~~~~
「間違いなく洪水で溺れる子どもたち、つがいに含まれない多くの罪もない動物たちがいるはずだ。」「私たち誰もが共有できる痛みを、どうやって人間の根船でドラマにできるだろうか?」 これは映画 ノア 約束の舟 プログラムからの記述です。
さて、神の命に忠実であることが、こんどは生き残ったことによる生きることへの奈落の苦渋があるはずであります。 そしてオーソドックス(正)とパラドックス(逆)からなる双対問題を形成するであろうと勝手に考えます。 われわれは、軸足をどちらにおくかで 片側では もし見えても陰的な像(ゲシュタルト)として鮮明ではないが、軸足を代えることによって陽的に像(ゲシュタルト)として鮮明にみえる、そういう意識に焦点をもたらすことをを知っています。
映画のほうは、優れてパラドックス側に軸足を置いていることになります。
さて、ここまで語れば 自然震災と文明災害との双対問題につながって いっきに、現代問題へと射影してくるのではないでしょうか。
劇場映画ですから 動的なパロラマ・スペクタクルとして 大いに圧倒され楽しませてくれました。 さてあとで ふとあれはどういうことかなと振り帰させるものがあります。 つまり ものごとのとらえ方の双対性の大切さを投げかけるものであり、われわれがものをみるときの、基本的な軸足のおきどころの意味を考えさせる そういうすぐれた作品であることを教えられました。
いつのころからか、映画のプログラムは買うようになっています。 目的はふたつ;ひとつは これから絵を起こすことです。 これで 数日間たのしめます。
二つ目は、「東大OB早起き同盟」や 「あらいやすまさ朝日記」へのサマリーとしての報告書きです。 他人に投げかけることによって自分のスタンスをあきらかにしていくことは元気になってくるのでありがたいです。 また、これまで投げかけた別なこととの間に思考シナプス結合することになるので思考の密度がすこし上がった気分がしてきます。 しかし 投げかけられた方は 果たしていかにと 申し訳ないきもちですが ご寛大さを切にお願いいたすものです。
Asaniki 210611 増補版 酒神礼賛(Autographic)シリーズ 2021-08-13
======友人からのコメントと応答
- comment from friend of mine Tadahiko Abe(yassie)
- 2014-06-30 05:45:04
- I put below a comment from Mr. Abe with much thanks to an encouragement to me.
~~~~
デュフィの絵と荒井さんの絵が、どこか共通点があることは感じていました。 そのうえで、好き嫌いで言うならば、お世辞抜きで、荒井さんの作品のほうが好きです。面白いです。 荒井さんがあと二十年書き続けたら、どんな絵を描くだろうかと、想像するのも楽しいです。I feel that a certain common feature has Dufy's picture and Mr. Arai's picture.
If it moreover says with tastes, it will be compliment omission and I will like Mr. Arai's work.
Mr. Arai's picture is more interesting.
If Mr. Arai will continue writing for 20 more years, it is also pleasant to imagine what kind of picture is drawn.
Please live long.
Because long life is also an element of an your art.5792
- 映画『ノア 約束の舟』の視点 (あらいやすまさ)
- 2014-07-01 00:16:15
- 『ノア 約束の舟』の視点
The End of The World …Is Just The Beginning
Noah had deeply hurt himself and be painful in his mental. Because it is simple reason eventhough under the Divine imperative, he disregarded other human lives. I evaluate it is quite universal of sense they took as movie side. This movie is payed on a focus of this point. The Bible gives no regard on this side.
.. I think Noah had a strong desire that the world without human being. The world consituted of Innocent being like any animal except human beings.
But the Divine does not agree his desire. How about is this a symbolic idea over shadowing to the World now? I recommend you this movie.
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デュフィの絵と荒井さんの絵が、どこか共通点があることは感じていました。 そのうえで、好き嫌いで言うならば、お世辞抜きで、荒井さんの作品のほうが好きです。面白いです。 荒井さんがあと二十年書き続けたら、どんな絵を描くだろうかと、想像するのも楽しいです。I feel that a certain common feature has Dufy's picture and Mr. Arai's picture.
If it moreover says with tastes, it will be compliment omission and I will like Mr. Arai's work.
Mr. Arai's picture is more interesting.
If Mr. Arai will continue writing for 20 more years, it is also pleasant to imagine what kind of picture is drawn.
Please live long.
Because long life is also an element of an your art.5792
The End of The World …Is Just The Beginning
Noah had deeply hurt himself and be painful in his mental. Because it is simple reason eventhough under the Divine imperative, he disregarded other human lives. I evaluate it is quite universal of sense they took as movie side. This movie is payed on a focus of this point. The Bible gives no regard on this side.
.. I think Noah had a strong desire that the world without human being. The world consituted of Innocent being like any animal except human beings.
But the Divine does not agree his desire. How about is this a symbolic idea over shadowing to the World now? I recommend you this movie.