愛しのモニカ
未だ生きてたの!などと電話でジョークーを
飛ばしても、そうよ、未だ生きているわ、と
答えてくれる会話で始まって2時間ぐらいノンーストップ
和気藹々な話が何時も続くて行く。
もう、50年の月日が流れていた。
一生の中に親友は、唯一人、彼女であった。
何時も、彼女はそこに居た。
何もかも観るもの聞くものが新しく異国で戸惑って
居る私たちを何気なく優しく受入れてくれて
スタートしたのだった。
最後にモニカに逢ったのは、私たちの金婚式の
3年前であった。82歳の彼女は、目も悪かったが
往復600KMの道則をドライブして結わいに来てくれた。
その日の別れ際に、彼女は、車に座って私たちは、
その横に立ち叉おしゃべりに花を咲かせた。
あの彼女のお茶目な笑顔を見たのが最後となった。
一年前から、彼女は、軽い認知症に掛かり、一時養老院
入りになり、そんな彼女に毎週電話を掛けて
昔話を一時間は、毎回したものだ。それから、一年経った。
そんな、ある日、看護婦からモニカは、隣の病院に
転院した事を知らされた。 その時の看護婦の答えは
〔彼女は、もう、養老院へは、戻らない〕との
事だった。この、答えが未だに腑に落ちない。
どうして、病院へ送られる前に、彼女は、もう帰らない事が
決めていたのだろうか。早速その後病院へ電話を
掛けてモニカを呼んだ。しかし、看護婦は、来週
掛けるように促された。その日が来て電話で呼び出すと、
看護婦は、貴方は、身内の人ですかと問われに
〔彼女は、50年来の親友です〕それを
聞いたら即座に、〔彼女今朝逝ってしまいました〕
私のショックは、どうして、どうしての質問
しかなかった。
モニカの家の前に住む友人Dがモニカが認知症になって
以来この友人が全て公的に彼女の責任をもっていた。
私は、彼女に何が突然に起りモニカが急に命を亡くしたのか
聞いた。彼女は、声を震わせて〔彼女、病気で傍が見ていられない
くらいくるしんでいました。その日、モルヒネを打った後、息を引き取った
と聞いています〕
この答えを聞いた私の頭を霞めたのは、安楽死であった。高齢者が
病気になれば、このような結末に終わるとは思えない。
〔私、104歳まで生きるのよ!〕といつもの電話の会話の
あの元気な声が聞こえてくる。
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