「心配」の種は私達の人生に常について回ります。
物事がうまく運ぶ日々もあれば、思うように運ばない日々も必ずやってきます。うまくいっている時は要注意です。私たちが自分たちの力を過信し、高慢になり、天上界との繋がりなど不要だと感じやすいときだからです。この点については後の回で詳しく見たいと考えています。一方で、うまくいっていない時やそれを想定する段階で私たちはしばしば誤った判断をしてしまいます。今回は、特に私たちが「心配」するという行為について見てみたいと思います。
米国バーモント州、チャンプレイン大学のキンバリー・クイン教授(Ph.D)は、 2022年6月"Psychology Today"に寄せた記事で次のような指摘をしています。
・「心配」に時間を割くことを許してしまうと、それが自己問答を通して拡大・強化されていく傾向があり、貴重な時間を奪っていく。
・過去の災難や失敗に想いを巡らすと、現在の行動・体験に悪影響を及ぼす。
・今後における不確実性に悩まされる事は無意味であり、問題解決に貢献する事はない。
では「悩み」で心が折れてしまいそうな時や、「心配」するという行為に時間が割かれてしまう予感がした際にどうしたら良いか?
バイブルの答えは: まさにそんな時こそ天上界との繋がりを求めることが勧められます。なぜなら、天上界への信頼が私たちの心を守り、その心理的なメリットは当然ながら、それと同時に問題解決に必要な知恵が霊の働きを通して与えられることも期待できます。更に「心配」の種自体が天上界の超自然的な力で処理されることも多々あるからです。つまり、時間を割くならば、比較にならないほど優れた代替案が提示されているという事なのです。
今回の天上界からの一言(二言):
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(ピリピ人への手紙 第4章6~7節)
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い煩うのか。野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書 第6章25~34節)
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【今日の余談】
食欲の秋。焼肉屋さんの雰囲気だけでも家庭で楽しもうと、肉を数種類スーパーで買ってきて、さあ準備。でもフライパンで頑張ってもどうしてもその雰囲気が出ない。そんな経験はありませんか?
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