不幸せからの脱出法

「不幸せ」からの解放をテーマにした、スピリチュアルなお話。

「不幸せ」からの脱出法 <7:「御名によって」祈るなら>

2020-05-30 16:03:29 | スピリチュアル

実際「ヨハネによる福音書の14章」によれば、イエス自身が彼の「名によって」祈る事を勧めているので、「イエス・キリストの御名によってお祈りします。」というフレーズで祈りを締めくくること自体は聖書の教えに沿っています。 しかし一方で、単なる慣習で無意識にこのフレーズを結び文句に使わなければ何となく気が済まない、といったことであれば、このフレーズは「おまじない」に成り下がっていると言えるでしょう。 

ここでこのフレーズに関連して3つの事を考えてみたいと思います。先ずはそもそも祈りとは何か?何のために祈るのか?という事ですが、大抵第一に頭に浮かぶのは「お願い」になろうかと思います。 祈りを定義するならば、「天上界との交信(天上界への積極的な働きかけ)」であって、「お願い」はその中の一つにすぎません。聖書に見る例としては「感謝の祈り」「執成しの(他者のための)祈り」「大きな感動や崇拝を表現する祈り」など他にも様々です。

次に「イエス・キリストの御名によって」の「キリスト」の意味は何かということですが、イエスという人物の苗字だと誤解される事も屡々あるようですが、本来はヘブライ語の「発音:mashiyach」で「(解放者・救い主として)聖別され油を塗られた者」という意味になります。

「祈り」について、そして「イエス・キリスト」については、後により詳しく見ていきたいと思います。

3つ目に「名によって」の「名」について見てみましょう。例えば上記の「ヨハネによる福音書の14章」ではギリシャ語の「発音:ónoma」が使われていますが、この言葉には「名前」という意味の他に「権威」という意味もあります。

なので、天上界への語り掛けを「イエス・キリストの御名によってお祈りします。」と締めくくるのであれば、その際にはただ「型」にはまり流れに任せるのではなく、是非「私たちを解放・救いに導く権限を持つ方のその権威によって天上界と交信している」という想い、イメージをハッキリ持って行いたいですね。


「不幸せ」からの脱出法 <6:「宗教」とは距離を>

2020-05-29 17:06:11 | スピリチュアル

天上界のパワーを最大限引き出して、安心と満足そして心からの笑顔に満たされた日々を送れるのならば、それを拒む理由は無いですよね。ただ、そのためには天上界のパワーを本気で信頼することが大前提になります。これは一見当たり前の事のように思えますが、実はその最重要となる「信頼」を妨げる「理由」を私たち自身が知らず知らずのうちに作ってしまう事があります。例えば心理の領域では「恐れ」だったり「自己過信」などが邪魔な要素になったりします。この事についてはまた後により詳しく見ていきますが、「信じる心」が極めて重要であることはまず最初に押さえておきたいと思います。

それゆえ、その「信じる心」を生じ育むのに「宗教」が一翼を担う事があります。またそれが私たちを霊的に良い軌道に乗せることもあるという事も否定しません。しかし同時に、そんな宗教が逆に私たちと天上界の間に挟まる障害物にもなり得るという事も事実です。

中世ヨーロッパでは、宗教を用いて特定少数の人間や団体に富や権力が集中してしまいましたし、日本でも明治時代に教育の根本精神となる「聖なる教え」として国民に授けられた「国家神道」があり、これが後に日本を無謀な侵略戦争に導いていった残念な経緯もあります。 現在に於いても、「宗教」はその導き手となるトップが自らの都合で人々を操作できる場になり得るし、実際そうなっている例は多々あります。もちろん教会の献金に関する「神に捧げよ」的なメッセージのように比較的無害なものから、地下鉄サリン事件のような忌むべき行為の背景にある教えまで、その性質・度合いは様々です。

このブログでは、私たちと天上界との繋がりのキーとして「新約聖書」を紹介・お薦めしていきますので、これを書いている私もキリスト教から学ぶことは多々ありますし、キリスト教会にも頻繁に足を運びます。しかしその一方で、キリスト教が持つ様々な「型」に縛られることで、天上界とのやり取りが滑らかさを失ってしまう事もあろうかと危惧もしています。

幾つか例を挙げていきますが、例えば感謝や願いなどを込めた祈りが大抵「イエス・キリストの御名によってお祈りします。」というフレーズで結ばれるのを見ますが、これは何かの魔法の言葉又は「おまじない」の類でしょうか? 

(次回に続く)


「不幸せ」からの脱出法 <5:私たちをスピリチュアルの世界へ導く至高のマニュアル>

2020-04-04 22:43:03 | スピリチュアル

前回のお話は、「霊界との正しい向き合い方、接し方・・・選択・判断が難しそうですが、どうしたら良いのでしょうか?」という問いまででした。

結論から行きますと、他人や団体を介するのではなく、あなた自身が「直」(ちょく)で天上界とつながる、そしてそのためのツールが「バイブル」の言葉と「祈り」という事になろうかと思います。但し、私はこのブログで「キリスト教」という「宗教」を勧めたり促進しようという思いは毛頭ありません。 私たちは、天上界の教えが「宗教」に成り下がったことにより、特定少数の人間が富や名声を得たり、不毛な争いのために多くの人の尊い命が奪われたことを、歴史を通して知っています。

一方で、私たちと霊界や天上界を繋げるための媒体には、占いや宗教を含め様々なチャンネルがあり、またその中でも様々な「マニュアル」や「経典」にあたるものが存在しますが、「史実との一致」「写本の数(約2万4千)とその精度(約99.5%)」「影響力」のどれを取っても、「バイブル(ここでは新約聖書)」との比較に耐えうるものは何一つ無いこともれっきとした事実です。

なので、宗教などとは全く切り離したところで、聖書を「神の言葉」と呼ぶかどうかは別として、これが私たちをスピリチュアルの世界へ導く、最も信頼を置ける最善・最高の媒体であるということには、反論を許す余地がないでしょう。

そして、その聖書は、私たちが天上界と密にコミュニケーションを取る(祈る)事の必要性を何度となく繰り返し訴えています。逆に、私たちの能力や才能や霊感の強さなど、それが地上界ではどれだけ優れたものであったとしても、それは天上界のレベルでは全く取るに足らないものであって、私たちがそれらを拠り所にすることの危険性についても繰り返し警告しています。

あなたもこの天上界の素晴らしい力を体験できると確信していますし、体験して頂きたいという強い気持ちがあるのでこのブログを始めました。

それでは、先ほど「宗教に成り下がる」といった強めの表現を使ってしまいましたが、 「宗教」になってしまうとどういった問題が生じてしまうのか、少し見ていきたいと思います。

(次回に続く)


「不幸せ」からの脱出法 <4:「霊界」「スピリチュアル」について>

2020-03-10 16:25:22 | スピリチュアル

「不幸せ」からの脱出策として、ここまで ステップ1(今置かれている状況・環境そのものに働きかける=物理的アプローチ)とステップ2(今置かれている状況・環境に対する見方・捉え方を変えてみる=心理的アプローチ)を見てきました。

ここからのステップ3(今置かれている状況・環境に、スピリチュアルな世界を通して対応し、問題を乗り越えていく=霊的アプローチ)が、このブログの本題であり、是非ご一緒に考えていきたい内容となります。 ただ、ここからのお話を進めていく前に一言だけ前置きがあります。

私自身その時々に置かれている状況・環境と向き合い奮闘しながら、また自らの色々な弱さと戦いを交えながらも、とても喜びに包まれた最高に幸せな人生を送っているので、是非それを分かち合いたいという気持ちでこれを書いていますが、誤字・脱字はもちろんですが、書きながらも文中の表現の至らなさに気づいたり、新たな発見や物事の理解の深まりなどを体験して、後日内容に修正を加えることもあるかも知れません。 また、コメントなどを頂いた場合、直接それに応答する事は殆ど無いと思いますが、建設的であったり的を得ていると感じたものについては、その後の投稿の中でできるだけそれを反映出来たらとも考えています。

さて、一言で「スピリチュアル」と言っても、「スピリチュアル」にも様々な分野があり、ざっと検索をかけただけでも「開運カウンセリング」「天然石・パワーストーン」「風水」「霊視」「手相・人相・タロットカードなどの占い各種」等々、数多くのジャンルがある事がわかります。 そして、それぞれ「施術」している人たちの中にはもちろん「本物」と「偽物」、「霊感の強い人」と「そうでもない人」、「受ける側の益を真剣に考えている人」もいれば「自分の金銭的利益や名声のみを追求している人」もいます。

それらの「媒体」を通して、スピリチュアル(霊界)の恩恵を受けたい側としては、「セッション」「施術」などを受ける前に、提供者の評判だったり、金銭的な負担の度合い、また宗教などに勧誘されるリスクなどは最低限知っておきたいところだと思います。 そんな中一つどうしても押さえておきたいポイントがあり、それは仮に本当に霊感の強い施術者があなたの益を親身に考えて霊的交わりにあなたを誘導できたと想定しても、そもそもその霊的作用自体がプラスのものであるかどうか、またそれ以前にその呼び起された霊そのものが優良のものであることの保証はどこにもないという事です。

そうなると、「霊界」との正しい向き合い方、接し方を考えることがとても重要である一方で、その選択・判断は極めて難しそうですが、どうしたら良いのでしょうか。

(次回に続く)


「不幸せ」からの脱出法 <3:捉え方・向き合い方の見直し>

2020-02-19 17:35:19 | スピリチュアル

では今回は「ステップ2ー今置かれている状況・環境に対する見方を変えてみる」について考えてみましょう。

例えば今置かれている状況には難点しか見えないような時に、その状況の中に何か前向きになれるような要素を発見できないだろうか?

まず最初に、大前提として「不幸せ」の反対を「幸福」と呼ぶとして、その「幸福」は「幸福感」以上の何物でもないという事を押さえておきたいです。 つまり「幸福」は感じるものであって、具体的な状況・環境そのものではないという事。仮に、物に不自由をしていない人の方が貧困に喘いで不自由をしている人よりは比較的「幸福感」を味わい易い環境下にあるという事が一般論として受け入れられているとしても、それには絶対性はないし、実際に富や名声を有していて鬱に悩まされている人もざらにいるのも事実です。

極論を言えば、現状に満足している貧民の方が不満足な金持ちよりも「幸福」だと考えることができるでしょう。

ここで、英語で言う「Positive Thinking」について考えてみましょう。これは「プラス思考」「積極思考」「前向き思考」などと訳されますが、その中心にあるのは「ポジティブな思考はポジティブな現実を引き寄せる」という考え方で、「精神衛生」の世界はもちろん、競技やビジネスに於ける成功論・自己啓発など、幅広い分野で応用されています。

ポジティブな思考の「効能」「ご利益」としては、血圧の安定、痛みに対する抵抗力、抗うつ、創造性の強化、そして長寿など数えきれないほど挙げられていますが、どんな思考パターンなのでしょうか。

古典的な例としては、水がコップの半分ほどを満たしているのを指して、「コップが半分空だ」と観る代りに「コップに半分水が入っている」と観るというのがあります。 ポジティブな思考の反対は「ネガティブ思考」や「マイナス思考」などと呼ばれ、それに陥るパターンは幾つかあります。 例えば、自己に対する期待設定が高すぎて、小さな成功には満足ができなかったり、逆に自尊心が低すぎるために、物事が思い通りに行かない時には即自責の念に囚われてしまったり、思い込みが激しい為に、過ちを1つ犯してしまった後に、過ちの連続がそれに続くことを自動的に予期してしまったりなど、色々です。 それでは、どう見ても明らかに「損」なネガティブ思考から解放されるためにできることを具体的に見てみましょう。

米国ミネソタ州の名門病院「メイヨークリニック」のサイトでは、「セルフトーク=自己会話、心の声」の言い換えが重要であるとして、下記の具体例を挙げています。

「こんなのやったことないよ。」 → 「新しいことを学ぶチャンスだな。」
「これは複雑すぎる。」 → 「別の角度からトライしてみよう。」
「面倒くさくてこれはできない。」 → 「物事の優先順位を見直して、時間が捻出できないかな?」
「これは過激な変化になってしまう。」 → 「一か八かやってみよう。」
「誰も自分に声なんかかけてくれるわけがない。」 → 「対話を始める糸口はないかな?」
「自分はもうこれ以上は上達できないよ。」 → 「よし、もう一回やってみよう。」

中には若干の時間的・金銭的なコストを伴うものもあるでしょうが、これらを総合的に観れば「得」は明らかですね。

 

(次回に続く)