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2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦

2011-11-10 19:43:03 | スポーツ
2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦



エビデンスは、証拠・根拠、証言、形跡などを意味する英単語 "evidence" に由来する、外来の日本語。一般用語として使われることは少なく、多くは、以下に示す分野における学術用語や業界用語としてそれぞれに異なる意味合いで使われている。


児玉龍彦さんの緊急記者会見(8.12)ダイジェスト1/2(メッセージ)



http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/f9fddcbe7c3fea2adadc9f9885e126bc

甲状腺ガンについて、ガンの原因が(福島原発の)放射線によるものかどうか、分かる可能性が濃くなってきました。

米国科学アカデミー紀要に掲載された論文によると、ヘルムホルツ・ゼントラム・ミュンヘン(Helmholtz Zentrum Munchen(HZM)研究センターの科学者たちは、電離放射線被曝したことを示す甲状腺癌の遺伝子変化を発見したというのです。

これを遺伝子マーカー、放射線被曝指紋などというそうです。

放射性物質が落ちた地域に長時間滞在した方々が甲状腺ガンになった場合、犯人である東京電力・福島原発の「指紋」がべったり残っているのが分かるというわけです。
写真:甲状腺乳頭癌において、参考遺伝子(緑)のコピーよりもCLIP2遺伝子(赤)のコピーのほうが多く検出されている。

http://d.hatena.ne.jp/sfsm/20111019/p1
より

内部被曝の場合の放射性物質の終着点
内部被曝した場合、体内に取り込んだ放射性物質が体内のどの部分に
行き着くかは、放射性物質ごとに違います。主なものは以下の通りです。

セシウム(134、137とも)・・筋肉、特に心筋

ストロンチウム90・・骨

ヨウ素131・・甲状腺


ここで注意すべきは、各放射性物質とも体内に取り込まれてすぐに行き着く
のではなく、呼吸によって取り込まれたなら酸素と共に血流に乗り、食物や
飲料によって取り込まれたなら、小腸から栄養素と共に血流に乗り、最終的
に行き着く、ということです。もちろん血流に乗って全身を回っている間も
放射線を出しています。

さらに、肝臓は肝動脈からの血液を解毒して肝静脈に流し、腎臓は血液から
老廃物と水分を濾して尿にし、膀胱に貯めるため、血液が集中し被曝しやす
い臓器でもあります。

児玉龍彦さんの緊急記者会見(8.12)ダイジェスト2/2(質疑応答)


http://www.asyura2.com/09/senkyo58/msg/689.html
より
法にのっとって確定した刑を、実際には執行しないのが、法治国家として正しいのでしょうか。

ちょっと説明します。

法治主義には「形式的法治主義」と「実質的法治主義」の2通りがあり、通常は法の内容の正当性を有しなければならないという「実質的法治主義」を意味しています。なので「死刑制度が実質的に見て法の内容の正当性を有しているかどうか」ということが問題となります。

(いわゆる「悪法は法なりや」という問題に、法であるから執行せよというのが形式的法治主義で、法でないから執行してはならないというのが実質的法治主義ということになります)。

また、形式的法治主義の立場に立ったとしても、上位法・下位法の関係で上位法が優先するという原則があります。なので、死刑を定めた法律が上位法である憲法に矛盾する場合には下位法である死刑制度が無効となります。死刑制度では「死刑は、日本国憲法第36条が禁止した残虐な刑罰」である、ということになれば、死刑制度を定めた法律は無効になるので、形式的法治主義をとったとしても、死刑は法治主義に反することになります。

(上位法優先の原則を明記したのが憲法第98条です)

http://genpatsu.wordpress.com/2011/09/13/irsn-report-20110711/
より

検出された主な放射線核種

放射線核種 半減期

ヨウ素131(131I) 8日
セシウム137(137Cs) 30.15年
セシウム134(134Cs) 2.1年
セシウム136(136Cs) 13.1日
テルル132/ヨウ素132(132Te-132I) 78時間

http://blogs.yahoo.co.jp/erath_water/63158531.html
より
「セシウム137は、膀胱にたまり、尿として排泄される。絶えず膀胱に尿がたまっている前立腺肥大症の患者なら『影響が出やすいのでは』と思ったんです。」
化学物質の健康被害を研究する同センター(神奈川県秦野市)で、福島氏は研究に取り組むきっかけを振り返った。

1986年4月、旧ソ連、現ウクライナでチェルノブイリ原発事故が発生。10年後の96年、大阪市立大学医学部第一病理教室教授だった福島氏は、ウィーンで開かれたWHOの会議に出席した。
その際、事故の健康被害を研究していたウクライナの教授らと意気投合し、共同研究を始めた。
同国では、10万人当たりの膀胱がんの発症率が86年に26.2人だったのが、96年には36.1人と、約3.1倍に増加していた。