渋谷では「チーマー」が大流行
ディキーズのチノパンが流行ってた頃
ポケットベルが流行ってた頃。
(東京テレメッセージの黒で、ピーピーしかならないやつ。)
そんな頃、僕は誰も知らないpizza willyでバイトをはじめた。
スノーボードをやるために!
(モテたいがために)
時は夏
休み無くシフトを入れた
デリバリーとか初めてで、まったくわからない私に、マネージャーは何時も優しく教えてくれたし、周りのスタッフも皆若く、親切だった。
何より、可愛いお姉さん(一つ上なだけでも高校生の時はお姉さんに思えたなぁ)
がいた!!最高の気分でバイトはスタートした。
大島pizza willyは並びのパン屋の夫妻がオーナーで
willyの責任者(マネージャー)は22歳のヤンキー出身で、オーナーの娘と同棲してるらしかった。
サブマネージャーは19歳のDな人でした。
あとは、大学生と高校生だけ。
今考えれば、潰れて当然だな。。
でも、そこで、私の青春がスタートしたと言っても過言ではない。
思い起こせば、中学では新聞配達
16歳くらいには、新橋の日通で日雇い
夏に後楽園のバイト・・・と
色々バイトをやってきた。
16歳当時、「スクーター」がどうしても欲しく、親が反対していたので
密かに、免許を取り、後楽園の遊園地のなかの飲食店でバイトをした。
結局スクーターを中古で買ったが、不良品をつかまされ、文句もいえず、上野にポイした。
今度はギターとスコアーブックを買う為、
日雇いの新橋の日通で、友達とバイトをしては、帰りに銀座の山野楽器に行って、スコアブックとか弦とかピックなんかを物色していた。
そして、たどり着いた楽園。
そう!まさに、私にとってはwillyは楽園的なバイトだった。
失恋をして辞めるまでは・・・
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