キセルⅩ(kiss sell x)の活動

様々なカルチャーを通して生きていく活動日記

sweet 90's bluse 5

2007-09-27 18:32:05 | Weblog
本格的にスノーボードがやりたくなって、始めた謎のPIZZA屋「willy」

時は私17歳

当時地元で流行っていたのは50ccのビジネスバイクの改造だった。

HONDAならカブ、CB50
YAMAHAならYB50
SUZUKIならK50

あと、JAZZ50とかNSR50とか。
とにかく50CCをオリジナルカラーにしたり、部品を適当につけたりしたのが流行った。マフラーに穴あけたり、芯抜いたり。

jazzは地元で3人もいたし・・・

僕はYB50に乗っていたが、こういうのを適当にいじったりするのが好きだった為、地元では金を取って改造を請け負っていた。

でも、何時も住んでるマンションの下の広場で改造とかしてるから、住民からは嫌われていて、草むらにバイクを捨てられていた事もあった。
ひでー復習だな。。

そんなうるさいYBで何時もバイトに行っていたのだが、配達のバイクが50のキャノピーかジャイロだった為、50ccの運転には慣れていたし、楽しかった。

何より、スノーボードを目的として始めたバイトで、スタッフの先輩と同じ歳の大島のクボ君がスノーボードをやっていて、かなり仲良くなれたし、先輩には良くしてもらって、スノーボードの事も詳しく教えてもらった。


マネージャーも若い(22歳)せいか溶け込み易く、とてもいい人だった。
バイトをはじめて、3日くらいでつり銭を1万無くし、自腹になっただが、マネージャーが自分の財布から出してくれた。

そんなこんなで、かなり気に入ったバイトを始めた17歳の夏休みだったが、
夏休み前に、別の計画があって
「17の夏休みは彼女を作って、デートしよう」
という計画で、

5月くらいから「仕込み」に入っていて、紹介とかしてもらって、なんとか7月に彼女が出来たんだった。
でも、童貞を捨てたという満足感か、即バイトにのめりこんでしまい、
挙句の果てには、バイト先のお姉さんに気を引かれてゆき、そのときの彼女から、逃げるように連絡を絶ったのだった。。。

この時の彼女。

20歳くらいに再会するのだけど
小岩のキャバで№1になっていたらしく(可愛くないのに)
かなり金持ちの匂いがした。
会って一言
「お前みたいな訳のわからない自信家に逃げられて、人生変わった」
と言われた。

嬉しかった。。

でも、酔っ払ってケツ触ったら、相当怒ってたな。。




sweet 90's bluse バイト

2007-09-22 01:06:32 | Weblog
前回バイトのことで少し書いたので、ここで高校生の時にやったバイトを少し書こうと思う。

後楽園の飲食売店
ピザの配達
そばの配達
スシの配達
郵便局の仕分け
日通の日雇い
番組観覧
クロネコヤマトの仕分け
喫茶店の厨房
居酒屋のランチのみ
・・・
と色々と十代の時にはバイトをしてきたが、クロネコを除いてすべて結構任期満了的な感じで頑張った。

今思えば色んな仕事をして、すごくいい経験をしたなと思う。

フリーターをバカにするわけじゃないが、よくTVなどで
「やりたいことがないから、どんな仕事が自分に合ってるか探してる最中です。」

とかいう20超えた若者がいる。

が、途中で投げ出してしまうし
経験不足だし
と思う。と・・・そんなことはさておき


一番最初にやった「後楽園」のお話

なによりここでは、「原付を買いたい」の一心で
高校1年の夏休み40日を一日も休まず
朝8:30~17:30まで毎日通った。
はっきり言って学校に行くよりキツカッタ。

しかも、イジメにも遭った。

ここは、後楽園遊園地の中の飲食の売店での仕事なんだけど
スタッフは
店長(30代)とその彼女(20代中盤)
と大学生でほとんどが構成されており、高校生は3人くらいしかいなかった。
しかも俺は16なんでモチロン一番下
そして、何にも経験がない。

そんな中で、
「うどん、そば、カキ氷」ゾーン
「ポテト、焼きそば」ゾーン
がブースの中にあって
店長に気に入られた側近たちは、楽な「ポテト、焼きそば」ゾーンに集められ
下っ端と店長の気に入らない奴が「うどん、そば、カキ氷」ゾーンに追いやられてるのだった。

「うどん、そば、カキ氷」ゾーンは
真夏なので、冷やし物もやってたけど、麺を茹でるのに一日中お湯がでっかい寸胴の中でグラグラ沸いているので、暑くてたまらない。
カキ氷は、飛ぶように売れるので、氷の中にずっと手が入ってるので、冷たくて麻痺!
だからか・・・・と思ったね。

モチロン俺は「うどん、そば、カキ氷」ゾーン

「タバコを吸ってるのが生意気だ」
という発端で、反発的な目を店長に向け、それが原因だった。

事あるごとに、大学生には
「〆るぞ」
といわれ。
店長には
「耳がきこえねーのか?病院行け病院!」
「バイトなんてしてる場合じゃねーんじゃねーー(笑)」
と言われ。

結構いじめられた。
店長の彼女まで
「くさい」「汚い子」
とか言われた。

でも、私は原付を買う為
40日間頑張るって決めたので、めげなかった。
毎日、臭い生ゴミを大量に捨てに行きながら・・(本当は当番制なのに)


しかしある日
忘れもしないある日

冷やしたぬきの仕込みで、盛り付けしてるときに
店長の彼女と二人で仕事を黙々とこなしていた時。
何を言われたか忘れたけど、私は堪忍袋が破裂した。

みんなが見てないのを見計らって、その女に
「錦糸玉子」を袋からつかみ、その女の顔に投げてしまったのだ。。。


誰もが恐れていたせいで、調子に乗ってる
店長の彼女に。。。
その顔に。。。

しかしここから、色々な味方ができたり
店長が気を使うようになったりして、なかなか楽しいバイト生活が送れるようになったのだった。


イジメで苦しんでる人へ

一回ブちぎれてみるって方法もあるね。

「こいつイキナリ切れた!」
「何をするかわからない」
と思わせたら、勝ち!

そんないい経験をした
16歳の夏



sweet 90's bluse 4

2007-09-20 19:30:18 | Weblog

渋谷では「チーマー」が大流行
ディキーズのチノパンが流行ってた頃
ポケットベルが流行ってた頃。
(東京テレメッセージの黒で、ピーピーしかならないやつ。)


そんな頃、僕は誰も知らないpizza willyでバイトをはじめた。
スノーボードをやるために!
(モテたいがために)

時は夏
休み無くシフトを入れた

デリバリーとか初めてで、まったくわからない私に、マネージャーは何時も優しく教えてくれたし、周りのスタッフも皆若く、親切だった。
何より、可愛いお姉さん(一つ上なだけでも高校生の時はお姉さんに思えたなぁ)
がいた!!最高の気分でバイトはスタートした。


大島pizza willyは並びのパン屋の夫妻がオーナーで
willyの責任者(マネージャー)は22歳のヤンキー出身で、オーナーの娘と同棲してるらしかった。

サブマネージャーは19歳のDな人でした。

あとは、大学生と高校生だけ。

今考えれば、潰れて当然だな。。


でも、そこで、私の青春がスタートしたと言っても過言ではない。

思い起こせば、中学では新聞配達
16歳くらいには、新橋の日通で日雇い
夏に後楽園のバイト・・・と
色々バイトをやってきた。

16歳当時、「スクーター」がどうしても欲しく、親が反対していたので
密かに、免許を取り、後楽園の遊園地のなかの飲食店でバイトをした。
結局スクーターを中古で買ったが、不良品をつかまされ、文句もいえず、上野にポイした。

今度はギターとスコアーブックを買う為、
日雇いの新橋の日通で、友達とバイトをしては、帰りに銀座の山野楽器に行って、スコアブックとか弦とかピックなんかを物色していた。


そして、たどり着いた楽園。
そう!まさに、私にとってはwillyは楽園的なバイトだった。
失恋をして辞めるまでは・・・






sweet 90's bluse 3

2007-09-18 18:56:28 | Weblog
1990年代中頃

当時「ロン毛」が江口洋介の影響で流行っていた頃。

私も似合わないロン毛で「あさはーーら しょこ♪しょこ♪しょこ♪」
と言われてました。

そう!
この頃に「サリン事件」が起こったのです。


17歳ですっかりB-boyに飽きてしまった・・・というより、スノーボードの方が興味が出てきて、絶対!「横乗りはモテル」という何の根拠も無い自身から、スノーボードをやる決意を固める。

当時付き合ってた彼女(不細工な)がSk8をやっていたので、強く勧められたのもあったし。


まず、フルセットを揃えるのと、行く金を調達するために
「こりゃバイトで夏休みは潰れるな」
と、覚悟を決め、今は無き

「大島pizza willy」へ

willyってピザ屋なんてあんまし無いし、周りには
「Domino」とか「pizza-la」があるから、
「絶対暇!」
んで自給1000円って
と思って、即決定。

ここから、スノーボード人生が始まった。



sweet 90's bluse 2

2007-09-13 18:49:38 | Weblog
Dnceを始めよう!
六本木で見て、「絶対これはモテル」
って思って、さーやるぜ!

そう言っても何も解らない高校生。


先輩もいないし、身近に誰もやってる人はいない。


とりあえず、公園で。んーーじゃりじゃりしてて出来ない。
なぜなら。
当時やりたかったのは、Break Danceなので床技重視であった。


児童館の裏で。

ファミレスの横のガラスがたくさんあるとこで(ガラスは夜反射して鏡の役割をするから)

マンションの裏で。


色々やった。

でも、最初は公園の前の道路。
床技は道路に毛布を引いてやった。
迷惑この↑ない高校生たちでした。


で、題材は
しょうがないから「天才!たけしの元気が出るテレビ」
通称:元テレ
の「ダンス甲子園」のビデオを撮ってる友達の家で、ビデオを観て
インペリアルとかDorDとかのチームのフリを真似することだった。

基本、何を始めるのでも、「真似」が基本だよね。
それから、基礎をつかんで、オリジリティーをだしていければいいと思います。


でも、友達の家で真剣にみんなビデオを観ていて、あーだこーだ言ってるのが、夜中とかだから、友達の親もブチ切れでした。

しかも、練習場も道路だったから、K察によく怒られたし。

でも、なんか変な熱があったな。

みんな本当は「モテタイ」の一身でやってたと思う。


DorD(安室ナミエの元彼がリーダーのチーム)の真似をして、

真ん中:一人が一人の足を持って逆さま
周り:ひたすらリズムに合わせて廻る
っていうのをやって、なぜか私が逆さま役を。

言うまでも無く、私の足を持つ奴が
「オモイ」
と一言、で即手を離したね

私は頭から、アスファルトに「ゴーーーん」


一気にやる気が無くなって帰宅。。


こんな始まりだったな。17歳

sweet 90's bluse 1

2007-09-12 18:33:34 | Weblog
高専に入って一ヶ月
Gwに地元のみんなで、六本木の「ディスコ」行ってみよう!

当時「ディスコ」~「クラブ」に切り替わる境目くらいの感じだった。

中学の頃から、「ディスコ」に行ってる友達に先導され、初めて夜の六本木に行った。

バブルがはじけたというニュースを耳にしてはいたが、時代錯誤だった。
バブルって良くわからなかったが、「ここにある!!」
っていう印象!!
そして、ここ日本??

外国にでも来てしまったかのような錯覚を覚えた。
外人の多さにビックリ!!
地元錦糸町も外人が多いが、六本木は格別!

「黒人は、ジャパニーズの黄色いプッシーがお気に入り」
なんて聞いていたもので、俺たちはプッシーじゃないから、殴られるんだな。
とか勝手に思ってた。。。

とにかく怖かった。

道行く道を歩いてなんとか

「Nu」というディスコに入った。

中の世界も格別!

異様な盛り上がりに、ドン引き!


でも、当時のクラブでは、どこに行ってもだいたいフロアーの真ん中にサークルが出来ていて、ダンスのバトルが始まるので、観ていただけだけど、燃えてくるものがあった。
そして、酒も飲まずにダンサーの見よう見真似でリズムを取ってみたりした。


こうして、初の六本木で色々衝撃を受けて
みんなダンサーに憧れ、服装もFILAとか、Adidasのハイカットとかになって行く。


バイク(50cc)とダンスに目覚めた16歳でした。




90’Sにハジメマシテ!

2007-09-06 19:04:58 | Weblog
90年代の中間くらいに私は
「B-boyってかっこいー」
と思った。

そして、アジャコングに似てるとか言われた時代。

私の中学はとてもとても校則が厳しく
男子:丸刈り
女子:おかっぱorおさげ

なんて、TVの取材がくるほどの学校でした。

でも、周りはヤンキーばっかりで、ヤンキー色がカッコイイと思ってる時代で、
ボンタンとか僕も持ってたし。。
ヤンキーの先輩からは「拉致」されることが多く、マジデ嫌気がさしていた。

そんな中、自由を求め
当時では珍しい土日祝完全休み
かつ、服装は自由(制服なし)
5年制

高専という所に高校を決めた。

そう!自由を求め、夢と希望に心ときめかせながら・・・

考えてみれば、ここでの出会いがすべて僕の今の趣味の原点だった。


入学して少し経って、即!喧嘩
敵は二人組のうちの一人
のっぽな野郎と、ちび(俺と同じ位の背丈)

当時流行ってた
「ガンくれてんなよ、コラ!」
とか、ちびに言われた。

半ばしょうがなく、でも、
「やってやる」
って気持ちで、喧嘩!

敗北しました。。。
唇パックリわれて、血だらだらで、電車で帰るはめに・・・

すると、片方の「のっぽ」が同じ電車で、なぜか仲良くなった。
これが、今のDJ SAZUIなのだった。。

ドラマチック・・・
てかダサい出会いですね。
これ以来
「タイマン」ってのは一回もやってない。


このころ、丁度今のスノーボード友達中沢とも出会った。