名にコレジャンルって。。
毎度くだらない思い出話を壱日記
時は世紀末。
私22歳の春から話を始めます。
大きな失恋と共に終わった専門学校の卒業式。
みんな、3月に卒業して、就職決まってる人ばかり。
僕はポンコツなことばかり言っていたので、完全に出遅れた。
3月に卒業して、しばらくは春休みってことにして、遊びほうけていた。
昼間からパチンコして、買ってくる本は就職雑誌よりエロ本。
夜は、まさに呑んだクレ。
そろそろ暖かくなって、春の風を気持ちよく感じ始めた4月あたりから、親が怒り始め、重い腰をあげて就職活動開始した。
始めは「マスコミ」オンリーで絞って探していたけど、面接でことごとく失格。
軽く20社くらい・・・
「もしかしたら、俺って・・・この世に必要の無い人間かも・・・」
ってなった。
気晴らしに、「営業」とか普通のサラリーマン志望で受けてみた。
怪しいビデオやさんとかは受かったけど、なんとなく辞退。
そんなこんなで、春も深まって、だんだん初夏を感じ始めた5月頃。
GWと称してダラダラと遊びまくる私に、親は激怒。
毎日居心地が悪くなって、あても無く朝早くから出かける毎日がつづいた。
それはそれは辛かった。
今考えれば、当時から「漫画喫茶」
なるものがあればどんなに楽ちんだったろうか!!
やる事も無いので、ある日は山手線を何周できるか試してみたり。
一日中図書館にいたり。
意味も無く、初乗りだけ切符を買って、高尾山まで行って、ユーターンで帰ってきたり。
川原で寝てみたり。
まさに「落ちこぼれ」
パチンコで全財産掛けて、買ったら、どっか遠い所でイチから出直そう!
と考え、パチンコで破産!
仕方なく、親に頼った。
かっこ悪くてもいい。
もう沢山だ!!こんな生活!!!
と言う事で、紹介されたのが
「ホテルグリーンプラザチェーン」
原宿のパレフランス(今は無いけど)に面接にいくと、
面接してくれた人(当時の軽い沢方面のGM)
GM「10日後に軽い沢の遊園地に勤務でよければ、二次面接来てください。」
と。
ん???
二次面接ってか、決定後の説明じゃないか。
家に帰って相当揉めた。
「俺は東京を出てゆくつもりはねえ!!」
就職でしかも紹介とかで決まったら、長い間帰って来れない。
絶対いやだった。
友達もいるし!!
全部捨てて行く覚悟が必要だと感じたからだ。
しかし、親はこう言った
「じゃあ家を出てゆけ、50万あげる。その代わり親子として面倒は一切見ない
、部屋でも借りて、好きにすればいい」
僕は一晩悩んだ。
親子絶縁状態になるか、田舎に就職するか・・・
甘えてばかり入られないのだ!自分で生活しなきゃいけなんだと。
親子の縁が切れるのは自分のせいだと。
そう考えると、なんとも自分が情けなくてしょうがなかった。
悩んだ挙句就職を決意した、22歳の春。
毎度くだらない思い出話を壱日記
時は世紀末。
私22歳の春から話を始めます。
大きな失恋と共に終わった専門学校の卒業式。
みんな、3月に卒業して、就職決まってる人ばかり。
僕はポンコツなことばかり言っていたので、完全に出遅れた。
3月に卒業して、しばらくは春休みってことにして、遊びほうけていた。
昼間からパチンコして、買ってくる本は就職雑誌よりエロ本。
夜は、まさに呑んだクレ。
そろそろ暖かくなって、春の風を気持ちよく感じ始めた4月あたりから、親が怒り始め、重い腰をあげて就職活動開始した。
始めは「マスコミ」オンリーで絞って探していたけど、面接でことごとく失格。
軽く20社くらい・・・
「もしかしたら、俺って・・・この世に必要の無い人間かも・・・」
ってなった。
気晴らしに、「営業」とか普通のサラリーマン志望で受けてみた。
怪しいビデオやさんとかは受かったけど、なんとなく辞退。
そんなこんなで、春も深まって、だんだん初夏を感じ始めた5月頃。
GWと称してダラダラと遊びまくる私に、親は激怒。
毎日居心地が悪くなって、あても無く朝早くから出かける毎日がつづいた。
それはそれは辛かった。
今考えれば、当時から「漫画喫茶」
なるものがあればどんなに楽ちんだったろうか!!
やる事も無いので、ある日は山手線を何周できるか試してみたり。
一日中図書館にいたり。
意味も無く、初乗りだけ切符を買って、高尾山まで行って、ユーターンで帰ってきたり。
川原で寝てみたり。
まさに「落ちこぼれ」
パチンコで全財産掛けて、買ったら、どっか遠い所でイチから出直そう!
と考え、パチンコで破産!
仕方なく、親に頼った。
かっこ悪くてもいい。
もう沢山だ!!こんな生活!!!
と言う事で、紹介されたのが
「ホテルグリーンプラザチェーン」
原宿のパレフランス(今は無いけど)に面接にいくと、
面接してくれた人(当時の軽い沢方面のGM)
GM「10日後に軽い沢の遊園地に勤務でよければ、二次面接来てください。」
と。
ん???
二次面接ってか、決定後の説明じゃないか。
家に帰って相当揉めた。
「俺は東京を出てゆくつもりはねえ!!」
就職でしかも紹介とかで決まったら、長い間帰って来れない。
絶対いやだった。
友達もいるし!!
全部捨てて行く覚悟が必要だと感じたからだ。
しかし、親はこう言った
「じゃあ家を出てゆけ、50万あげる。その代わり親子として面倒は一切見ない
、部屋でも借りて、好きにすればいい」
僕は一晩悩んだ。
親子絶縁状態になるか、田舎に就職するか・・・
甘えてばかり入られないのだ!自分で生活しなきゃいけなんだと。
親子の縁が切れるのは自分のせいだと。
そう考えると、なんとも自分が情けなくてしょうがなかった。
悩んだ挙句就職を決意した、22歳の春。