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「トレーニング・グローブ」
握力低下しないように補助してくれるのと汗によるスベリ止めで役立ちます。
今日はいかに僕が自己中心的なモノの考え方をしているか改めてお伝えしよう。
逆に言うとですね~いかに他人を“個”として認識しているかということだ。
どういうことか説明しよう。
例えばあなたに大事な仕事があったとしよう。
しかし今日はそれよりももっと大事な仕事があなたにはあるとしよう。
じゃあはじめに言った大事な仕事を部下に頼もうと思った。
部下Aに頼むと部下Aは「いや~この後病院に行かなくちゃいけなくて…。」
と断られた。
では部下Bに頼もうと思ったので部下Bにお願いすると
「今日どうしても見たい映画があって…。」
と断られた。
さてあなたはどっちがまともな断り方に聞こえますか?
多分部下Aではないでしょうか???
言い換えればAは仕方ない用事でBはそうでない用事。
みなさんがどう思うか知りませんが、僕に言わせたら、どっちもいっしょです。
結局その時間という価値は他人には計りしれないものだと思うんです。
例えば遊ぶ約束をしていた友達が仕事で断わろうが、
ほかのヤツと約束しようが、
何もないけど遊びたくないから断ろうが、
僕にはどうでもいいです。
それを選んだ他人の意志を尊重したいし、
僕と遊ぶことよりその人はほかのことに価値を置いただけの話。
それをとやかく言う権利は誰にもない。
というのが僕の持論です。
よく聞く「行きたいけど行けない、ごめん」
みたいなフォローは僕には何の効果もありません。
なぜならどんな理由で断ろうがいっしょだから。
だから逆にどんな理由で僕が断ろうが気を悪くしないでほしいと思うのが本音。
仕事、家族、休暇、恋人、友達、親兄弟、どれが大事でどれが優先なのかは
自分だけの判断基準で決めればいいし、他人がとやかく言う権利はない気がする。
休暇の過ごし方だって他人からみれば大したことしてないと思ったって、
その人にとっては大事なことだってある。
価値としては同じだってこと。
どっちが良くてどっちが悪いとか決められないということ。
でもこの考えは他人を支配しないし、他人に支配されたくないので、
交友関係において極めてドライな関係になりがちであるということも言える。
人としてはそれもどうかと思う今日この頃。
徒然なるままに・・・。
<今日のBGM>
DEAD CAN DANCE / The Host Of Seraphim
ゴシックの代名詞的ユニット。宗教音楽、民族音楽的なアプローチで
何語かわからない歌を歌い上げるごちゃ混ぜで実験的。
ジャンル分けのできない彼ら独自の重厚な世界観が堪能できる。
昔のLUNA SEAのライブ前のSEでよく使われていたし、
最近では黒服限定GIGの時も使用されていた。
IMAGE or REALでは真矢がドラムソロで「OCEAN」に
合わせて見事なドラミングを披露したなど
LUNA SEAもかなり影響を受けたであろうユニット。
当時の彼らのアンテナにこのユニットが引っかかっていたっていうのが凄い。
80年代~90年代の曲だけど、
今聴いてもかなり前衛的な表現の楽曲だと思う。
彼ら以外にこんな感じのバンド、ユニット知りませんかね~。
UROBOROSぐらいからのDIRにしても京の影響か宗教的な楽曲に仕上げてるものが増えたし、
ライブでのお経しかり、何かに憑りつかれたような感覚になれる曲が
ここ最近のツボ。
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