取材した番組を見た。
記憶障害、両足切断、
多発性硬化症という難病。
そうした重い障害を、
周囲の協力で克服してゆく姿は
シンプルに感動的だ。
インタビュアーも言うように、
高い目標をもって努力する姿の気高さは
オリンピックもパラリンピックも変わらない。
それにしても、こういう姿を見ていると、
「努力する才能」というものを感じざるを得ない。
それは、数ある才能の中でも、
最も重要なもののひとつだろう。
こういう言い方は、
あまり努力していない自分への言い訳になってしまうのだが、
やはり人によって多寡があるのは事実だと思う。
だから、身の回りに「努力する才能」
に恵まれた友人がいたら、
大切にするほうがよい。
多かれ少なかれ、
振り回されるかもしれないが・・・
もうひとつ感じたのは、
「目標を持つこと」は、
絶望的な状況の中でこそ重要だ、
ということ。
逆に言えば、うまくいっているときには、
目標を持つ必要すらないのかもしれない、
ということだ。
目標というのは、他を捨てて
そこに集中するということだ。
過度に集中するのは、
非常手段であり、
自然な生き方とは言い難い。
実際、一生涯にわたって
それを継続できる人は少ないだろう。
しかし、苦しい状況ではそれが有効であり、
だからこそ人間にはそういう能力が
プログラムされているのだと思う。
番組を通じて一番印象に残ったのは、
記憶障害になった夫を支えた
気丈そうな奥さんの笑顔。
なにか、忘れてはいけないものを見た、
という感じがした。
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