日々の寝言~Daily Nonsense~

宮沢賢治の童話たち

自己犠牲、悲しい童話といえば、宮沢賢治も好きで、たくさん読み返しました。
背景にある激しい感情を濾過した後の「透明な悲しみ」
という言葉がぴったりくるような読後感の作品がたくさんあります。

「銀河鉄道の夜」をはじめとして、「グスコーブドリの伝記」、
「なめとこ山の熊」、・・・あげればきりがありません。

それらの根元にあるのは、独特の世界観、人間観や倫理観だと思います。
有名な、詩集「春と修羅」の冒頭にある文章。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ありとあらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失われ)

これには、文句なく一撃でやられました。
 
そうした中でも、ちょっと不思議な、怖いような味わいのお話として、
「貝の火」も印象に残っています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1942.html

主人公であるウサギの子のホモイは、ヒバリの子供を助けたことで、
貝の火という宝物を授かります。
この宝物は持ち主の行い次第で輝きが変わるというのです。
そして、ホモイはいろいろなことをするのですが、
最後には、玉は曇り、割れて、かけらが目に入った
ホモイは目が見えなくなってしまいます。

身分不相応な宝を持つ/地位につくことの怖さ、の寓話のようでもあり、
自分の力におびえ、臆病になって自分の保身だけを考えてしまことを
諌めているようでもあるのですが、
私はいまだに、ホモイの行動の何がいけなかったのか、
どうするべきだったのか、よくわかりません。

未解決のままに、心に残っています。
今でもときどき、気にはなるのですが、
どう解釈してももとの作品よりはつまらなくなりそうなので、
未解決のままがいいのかも、しれません。
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