日々の寝言~Daily Nonsense~

サイモン・ラトル「ブラームス交響曲全集」

長きにわたって、自分にとってのブラームスの交響曲の
規範的演奏はチェリビダッケのものだった。

読響を振るために来日したときにブラームスの4番を聴いて
衝撃を受けて以来、あるいは、シュトットガルドとのライブを
FMで聴いて以来、ずっと、それを超える演奏に出会うことはなかった。
もはやそれらを超える演奏は無いだろうと思っていた。

その後、4番については、
ベルリンでクライバーがベルリンフィルを振るのを聴いて、
ちょっとぐらっときたのだが、
他の曲については揺ぎなかった。

しかし、さすがはラトルである。
なんと軽やかで明朗な
素晴らしいブラームスだろう・・・

ブラームス=厚ぼったい響き、重厚さ、
という常識に挑み、
見事にそれをくつがえしている。

もちろん軽いだけでは無いのは言うまでもない。

以下、曲ごとに見てゆく。

1番
ブラームスの苦悩から生まれた壮大な曲。

4曲すべてを通じて言えることだが、
(さらに言えば、ラトルの演奏全般について言えることだが)
奇をてらうようなところは全く無い。

とても素直に、曲想にぴったりと寄り添いながら進行してゆく。
特にテンポとダイナミクスの設定が絶妙だ。
緊張と弛緩のコントラスト、間合いの取り方の見事さ。
そして、まったく濁らない明朗な響き。
なんてまっとうなんだ。
CD の録音技術の進歩もあるのだろうが・・・

重厚さが前面に出ているミュンヘンフィルの
チェリビダッケに較べると、やや軽いことは否めないが、
その分、シュツットガルドの頃のチェリビダッケを彷彿とさせる。
そして、チェリのライブよりもさらに細かく計算され、
きちんとやることをやっているという感じがする。

個人的には、ファーストコンタクトであることと、
ある種のドイツ的荘厳さ(特に4楽章)や
ブラームスの産みの苦しみの表現において
チェリビダッケ+シュットトガルドのライブを取りたいところだが、
それと並び立つくらい素晴らしい演奏だと思う。
こちらを先に聴いていたらこちらを取っただろう。

もちろん、ライブで無い分、
音質等の点では完全に勝っている。
フィナーレの高速部分、ソリストの上手さ、
さすがベルリンフィルだ・・・
指揮者の雄叫びもないし^^;

2番
1番を書ききって解放されたであろうブラームスの
明るい気持ちを彷彿とさせる曲

この曲が最も現在のラトルの気風や
スタイルに合っていると思う。
今回の4曲の中でも個人的ベスト。

実に明るく、軽やかで、楽しい。
これを聴いてしまうと、
チェリビダッケ+ミュンヘンフィルの演奏は
あまりにも重厚で、まるで別の曲だ。
それは演奏時間の差にも如実に現れている。

これはまいりました、という感じ。
今後、2番の規範的演奏になるだろう。

3番
2番の演奏の素晴らしさに較べると、
ちょっと乗り切れない感じがする。

この違いは何なのだろう?
あまりに表情の付け方が丁寧すぎる?
これについては、もともとの曲自体の問題もありそう・・・

3楽章のメランコリーや4楽章のスリリングさは素晴らしい。
ラトルは、リズミックな切れのよいパッセージとともに、
この種類の繊細な、あるいは大胆な「情感」を表現するのが
とても上手だと思う。

4番については次回につづく。
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