音楽プロデューサー、レコードレーベル経営者である
リック・ルービンが オラフソンにインタビューしている動画を
お勧めされた。
以下は話されている内容の自由なメモ。
間違っている可能性もあります。
音楽・ピアノとの出会いについて:
最初のピアノの先生はスピリチュアルな女性
「ピアノの弾き方を習いたいの?」と聞かれて「もう知っている」と答えた。
厳しい練習とは無縁で、二人で自由にピアノとの対話を楽しんだ。
音楽の伝統や学派があまりないアイスランドで育ったのは良かった
SNS などもまだ無い時代だったのも良かった
ピアノは生きている それはたくさんの部品でできていて
温度が 1,2 度変われば、湿度が 10% 変われば変化する
バッハとゴルトベルク変奏曲について:
ゴルトベルク変奏曲の最初の 14の変奏は幸せな子供時代
第15変奏で初めての悲しみがやってくる
それを乗り越えて進むが、第25変奏で深い深い悲しみがやってくる
それも乗り越えて、お祭りののようになって、そして、驚くべきことに
アリアが戻って、曲が終わる
アリアの終わりはト長調だが、ものすごく悲しい瞬間
終わって欲しくない、永遠に続いてい欲しいものが終わってしまう瞬間
夕日の光が消えてゆく瞬間のような
ベートーヴェンは自分の世界に人を招待するが、
バッハは聞く人の鏡になって、その自身を発見させる
バッハは自由の国である
14歳のときにグールドのゴルトベルク変奏曲(若い頃の録音)を聴いて
その自由さに衝撃を受けて弾き始めたが、公に弾いたのは 30歳になったときで、
それが自分を今の世界に出すことになり、名刺代わり、人生の新しい章の始まりになった。
40歳になるにあたって、そういう生活、オーケストラや企業から離れて、
何か特別なことがしたくなって、スーツケースとこの曲だけもって世界をめぐることにした。
5年くらいかけて計画して、約 100回くらい演奏をした。
ツアーで弾いている間に音楽も変化したので、6月には再度録音をする予定にしている。
このくらいの単位で自分の人生の新しい章を考えるようにしている。
人は安定した生活を少しづつ良くすることに落ち着いてしまいがちなので。
ゴルトベルク変奏曲は、14歳のゴルトベルクが眠れない主人のために演奏した。
主人ではなく演奏者の名前がついているのは素晴らしい。
バッハには聴衆はいなかった。
1,000以上の曲を書いて演奏したが、神に捧げられているのであり、
ヘンデルのような世俗的名声とは無縁だった
バッハが今生きていたら、ストリーミング音楽の帝王になっているかもしれない
バッハの音楽には、そこに入り込めるものであると同時に、
何かをしながら聴くこともできるという不思議な性格がある
音楽の録音について:
グールド以前の音楽家は録音は基本的に嫌いで、義務的だったと思う
自分の演奏が他の人の演奏と比較され、ミスが永遠に残る。
比較は嫌いで、それは芸術の敵だと思う。
それぞれ違う、だけで、どちらが良い、ではない。
グールドがスタジオで音楽を作るという全く新しいことを始めた
シャッフルという今の音楽の聴き方は素晴らしい レコードではできなかった
昔は順番に聴くしかなかった
今、自宅に新しいスタジオを作っている
人生の次の章では、コンサートと録音の比率を変えて、録音を多くしたい
フィリップ・グラスについて:
80歳の誕生日にピアノを弾いて祝った
最初の録音にグラスを選んだのは、それまでに市場にあった演奏が理解できなかったから
グラスのミニマルな音楽はストーリーを描かずに空間を作り出す
音楽にも人生にも(まったく同じ)繰り返しというものは存在しない
画家が同じ対象をいろいろな視点で描くように、同じ楽譜でも視点を変えて演奏できる
グラスの作品は、音楽のアイデアを探求するための遊び場になった。
弾くたびに違って弾くことができる
その構造は寛大で、そこで自分らしくいることができる
グラモフォンについて:
1枚目のアルバムが予想外に成功したので、DG はアメリカのミニマリスト音楽を
もっと録音したがったが、2枚目はバッハを録音したかったので拒否した。
そして2枚目のアルバムはさらに成功した。
次にフレンチのアルバムを作ろうとしたら、
彼らは私を偉大なバッハ弾きだと定義したがった。
強力なマシンを持つことは危険が伴う
自分がだれでどこに行こうとしているかを他の人よりもよく知っておく必要がある
若いうちは成功から少し逃げる必要がある
このインタビューの1つ前の動画では、
オラフソンがピアノを弾きながら語り合っているのだが、
この断片的な演奏が、実に実に素晴らしい・・・
特に、バルトークのハンガリー民謡、
ゴルトベルクのアリアと変奏、
ラモーの「芸術と時間」、そして
グラスの Glassworks のオープニング。
Víkingur Ólafsson EXCLUSIVE Performance
右手と左手を分けるのではなく、
それぞれの手に複数の演奏者がいる。
音楽は生き物のようなものだ。
最後に、明日の(ホールでの)演奏よりも
今日のほうが良いかも、と言われて
「より良い」ではなくて「違う」だ、
「較べないで」と笑っていた。
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