読みふけって、やっと読了した。
やはり、自分の場合、
読書が一番進むのは
長距離の電車だ。
本を読んで、目を休めるために
5月の青と緑に満ちた景色を眺めるのは
至福の時間だ。
さて、以前の途中まで読んだ段階での
記事にも書いたとおり、
「世界史の構造」は名著だ。
個人的には「サピエンス全史」
よりも評価が高く、同じくらい
世界的に話題になって欲しい本だと思う。
「本書は、交換様式から社会構成体の
歴史を見直すことによって、現在の
資本=ネーション=国家を越える展望を
開こうとする企てである。」
という序文冒頭の宣言にたがわず、
交換様式A(贈与=互酬)が支配的である
定住革命が生み出した氏族社会、類縁社会(ネーション)
交換様式B(略取=再分配・保護)が支配的である
国家、帝国、そして、
交換様式C(商品交換)が支配的である
資本制社会、
といった歴史上の社会構成体と、
複数の構成体が織りなす世界システムの
由来や発展の必然性、を
交換様式という視点から次々と
読み解いてゆくのは
すごく面白かったし、読んでいて
心の中で拍手喝采する文章も多かった。
軸となる概念である
交換様式A、B、C、そして
それらを越える D
を通奏低音として
何度も何度も繰り返し語りながら、
具体的事例や副次的システム、
これまでの論説を次々と
取り込んで位置づけてゆくスタイルは
決してスマートで効率の良いもの
ではないが、とても力強い。
ある組織制度の成立が
何を隠蔽して見えなくするのか、
それが何を忘却することを
前提としているのか、といった
点についての、柄谷さんならではの洞察も
相変わらず冴えている。
個人的に特に印象的だった章を
いくつか挙げると、まず、第二部第四章の
交換様式 B と C の発展の下、
氏族社会から切り離された人々が増える中で
抑圧された交換様式 A の高次な回帰
(純粋贈与=無償の愛にもとづく
互酬的共同体)形態としての
普遍宗教が成立する、という説明。
バビロン捕囚に始まり、
ユダヤ教、キリスト教、
仏教、イスラム教、などが、
すべて同じ構造を持つ
ということが語られていて、
オウム真理教のような現象も
こうした考察の射程にあるだろう。
そして、それが容易に頽落し、
資本=国家へと組み込まれてゆく様も
また共通的に描かれている。
もう一つは、金融資本(M-M')、
商人資本(M-C-M')、
産業資本(M-C...P...C'-M')の違いを
述べた後で、イギリスにおける
労働力商品と、そこからの
剰余価値の発生、という
イノベーションについて書かれた
第三部第二章。
共同体からの自由、
契約合意に基づいて労働力を売る自由、
そして、賃金によって生活=労働力の再生産
のための商品を買う自由、
を持つ「産業プロレタリアート」の誕生が、
交換様式C、すなわち
自発的な等価交換の下で
産業資本が剰余価値を生み出すための
要である、という説明は、
とてもわかりやすく、
長年のいろいろなもやもやが
払しょくされた感じがした。
これは直截的に、
「賃上げが先か、物価上昇が先か」とか
「新しい資本主義」といった議論を
解消させ得るものだと思う。
マルクス主義に対する偏見が、
柄谷さんがずっと探求してきた
マルクスの可能性を
隠蔽してしまっていることが残念だ。
一方で、未来に関する第四部については
やはりグレーというか、
当然のことながら?
魔法の処方箋はなく、
結局、政治と経済の世界同時革命、
国家と資本の同時揚棄、
カントの「永遠平和のために」に
常に立ち戻る、
という方向性を示すにとどまっている。
そこで示されている方向性は
カントの一般倫理原則
「他者を手段としてのみならず
同時に目的として扱う」
つまり、それぞれの他者に
それぞれの目的があることを認め、
それを自身の手段としてのみ扱わない、を基盤として、
カントが提唱した「世界同時革命=世界共和国」
による資本と国家の同時揚棄に向けて、
そこに至る具体的な道はわからないが
国際連盟-国際連合、のような
諸国家連邦を試行錯誤しながら発展させる、
というものだ(と思う)。
加えて、1990年代以降の「世界商品」が
「情報」である、という的確な
指摘があるのにもかかわらず、
執筆の時期的な問題もあってか、
昨今の AI 技術の発展という、
情報の生産構造における
産業革命に匹敵するような変革と
その波及効果について
全く論じられていないのも残念だ。
しかし、逆に言えば、そこを考えるのが
これからの問題ということで、
前提がすばらしく整理された形で
問題を与えられたことに
感謝しなければいけないだろう。
耐久消費財を世界商品として確立された
アメリカのヘゲモニーが衰退した後の
帝国主義的状態としての現在。
その中から、次のヘゲモニー国家が出てくるのか、
それとも、その前に資本主義は
限界を迎えるのか?
そうした中で、
AI、AGI を基盤とする
世界同時革命は
可能なのか?
OpenAI という特異な会社組織は、
その先駆けになるのか?
興味のある問いは尽きない。
本書にも書かれているように、
産業的体制の外に「自然」が無尽蔵にある
資本制経済の外に「人間的自然」が無尽蔵にある
技術革新(生産性向上)が無限に進む
という前提にもとづく
現在の資本増殖の終焉は必然だ。
「資本は自己増殖することができないとき、
資本であることを止める。
したがって、早晩、利潤率が一般的に
低下する時点で、資本主義は終わる。
だが、それは一時的に、全社会的な危機を
もたらさずにはいない。そのとき、
非資本制経済が広範に存在することが、
その衝撃を吸収し、脱資本主義化を
助けるものとなるだろう」
その前に起こることと、その後の世界が
できるだけ悲惨なものではないことを祈りつつ、
これも連休中に読んでいた
「ポストコロナの生命哲学」や
「世界の終わりとハードボイルド
ワンダーランド」なども参照しながら、
交換様式 D と世界のゆくえについて
継続的に考えてゆきたいと思う。
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