日々の寝言~Daily Nonsense~

フェルメールは何が描きたかったのか?

フェルメールの展覧会では、たいてい、
同時代のオランダ人画家の絵画も展示される。

それらと見比べたときに、
フェルメールを特徴づけるものは
何なのだろう?

フェルメールの絵が「フェルメール」
という名前でなく飾られていたとして、
自分は果たしてその前で足を止めるだろうか?
止めるとしたらなぜだろうか?

というのが以前から感じている疑問。

今回の3点はそれぞれ味わい深いので、
たぶん足を止めて見るとは思うのだが、
テーマ的には地味だし、
絵筆の技術や構図なども、たとえば、
ファン・ミーリスなどと較べて
すごく優れているというわけでもない。

フェルメールの絵を見て感じるのは、
何が描きたかったのかがよくわからない、
ということ。

たとえば、ヤン・ステーンの風刺や、
ピーテル・デ・ホーホの家庭の穏やかさ、
のようなテーマが感じられないのだ。

あえていえば「静謐さ」ということに
なるのだろうが・・・

でも、逆に言えば、
わかりやすい「売り」と無縁な
「絵画に対する純粋さ」
こそがフェルメールの特徴なのかもしれない。

画家の組合の理事みたいなこともしていたようだが、
当時、美術学校があったわけでもなく、
誰かの工房で勉強したわけでもないので、
セミプロのような状態だったのではないかと思う。

そうした中でも、フェルメールは
お嫁さんの実家がお金持ちで、
ある種、高等遊民的立場だった時期があるようだ。

だからこそ、商売をあまり考えずに、
純粋に絵画芸術について考えて、
自分が描きたいように描くことが
できたのではないだろうか?

その結果、「商品」として
わかりやすくはない絵になったのだが、
その「よくわからないところ」が逆に人々を惹きつける、
ということなのではないかなぁ・・・

何度も同じ絵に手を加えていたりするところなど、
なんとなく、原稿に推敲を重ねた宮沢賢治を
連想したりする。

何か「純粋なもの」が見えていた人
なのかもしれない。
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