宮沢賢治を取り上げていたのを
録画で見た。
最終回では、「銀河鉄道の夜」をめぐって、
カンパネルラと、賢治の妹「とし子」を
重ねて論じていた。
とし子を亡くした後、
賢治は花巻から北海道を経て
樺太に旅をしたという。
とし子の魂を探し求める旅。
その旅で書いた、とし子をめぐる詩は、
「オホーツク挽歌」として
詩集「春と修羅」に納められている。
> それらの二つの青いいろは
> どちらもとし子のもつてゐた特性だ(オホーツク挽歌)
宮沢賢治の詩の世界には
この旅が再構成されている。
その旅は、確かに、
銀河鉄道の旅の原型だ。
その旅を経て、
としを失った悲しみを昇華させて
作品にしたのが「銀河鉄道の夜」。
宮沢賢治は、法華経を信じ、
一人一人の人間の運命が
すべての森羅万象とつながっている
と考えていた。
それでもしかし、
愛する人との別れは訪れ、
それは激しいさびしさをもたらす。
> ああ何べん理智が教へても
> 私のさびしさはなほらない
> わたくしの感じないちがつた空間に
> いままでここにあつた現象がうつる
> それはあんまりさびしいことだ
> (そのさびしいものを死といふのだ)
> たとへそのちがつたきらびやかな空間で
> とし子がしづかにわらはうと
> わたくしのかなしみにいぢけた感情は
> どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ(噴火湾)
「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」
何度も繰り返されるジョバンニの言葉は
いつ読んでも、本当に哀しい・・・
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