手塚版では、邪悪な人間によって作られた
プルートゥが、アトムや他のロボット
(特にイプシロン)との触れあいを通じて、
次第に「ロボットの善き心」に目覚めてゆく。
最後には邪悪な人間の虚しい欲望が、
ロボットによって暴かれて、
断罪され、悔悛させられる、
というわかりやすいストーリーだった。
浦沢版では、これを完全に逆転して、
ロボットが憎悪や悲しみを抱くという
可能性が追求された。
「善き心」しか持たない失敗作アトムが、
プルートゥやゲジヒト、イプシロンとの触れ合いを通して
強い「憎悪」や「悲しみ」を持つようになってゆく。
そして、それを克服することの
可能性が示されて終わる。
手塚版よりも一段ひねった
構成になっている。
同じように、プルートゥの角に手をかけながら
「より善い世界」を願うアトムだが、
浦沢版のほうが一段大人になった感じだ。
ロボットが感情を持つというテーマは
いろいろと検討されているが
(たとえば、スピルバーグの AI)、
悪い感情=憎悪を抱く、というテーマは
これまであまり追求されていないと思うので、
おもしろい切り口だったと思う。
ロボットが憎悪を持つ、ということを通じて、
人間における憎悪の起源、のようなものにも
迫っている。
傑作だと思う。
残念な点があるとすれば、やはり
アルティメット・コンピュータの扱いだ。
結局、単に話を複雑にするため
だけの道具に終わってしまった。
これなら、最初から
無いほうがよかったと思うし、
無くても全く問題はなかった。
せっかく登場したのだから、
成長したアトムとしっかり対決して、
アルティメットの「孤独」や「欲望」も、
明かされて欲しいものだったのだが・・・
* * *
しばしば言われるように、
浦沢さんの漫画は、やはり、
絵の力や個々のエピソードの力が
全体のストーリーの力を
超えてしまっている部分があると思う。
今回、PLUTOとボラーとアルティメットの姿は、
絵的にやや不満だったが、そのほかについては
素晴らしいできばえだ。
個々のロボットをめぐる
エピソードも素晴らしい。
全体を通して一番泣けたのは、
天満博士とアトムが夕陽の中で
食事をするシーン。
しかし、全体的なストーリーは
それに見合うほどは深まってゆかない。
せっかくリメイクするのだから、
この部分について、
SF作家(たとえば瀬名さん)や、
人工知能研究者なども動員して、
練りに練ったお話になっていればなぁ・・・
と惜しまれる。
現在の制作の現場を考えれば、
たぶんそんなことは絵空事なのだろう。
でも、IT技術が進歩して、
そういうブレインストーミングや共同作業は
昔よりずっとやりやすくなっているはずなのに、
という思いも一方にはある。
そういうものを使いこなすには、
次世代の浦沢直樹が必要なのだろうか。
ほんとうにお疲れ様でした。
素晴らしい作品をありがとうございました。
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