日々の寝言~Daily Nonsense~

競争・搾取・向上、など

久しぶりに、福永武彦さんを読んたせいもあって、
いつものことだが、近代資本主義社会の生き難さ
について考えてしまった。

近代資本主義社会は、
人間の欲望を燃料にして回っている。

おいしいものを食べたい、飲みたい、
広い家に住みたい、
すごい景色を見てみたい、
最高のおもてなしを受けたい、
感動したい、・・・

プロフェッショナルと違い、
凡人にはしたいことが多い。
(宣伝などを通じて、
そう仕向けられている部分がかなりある。)

欲望を満たすには、お金が必要。
たくさん稼ぐには、競争に勝つことが必要。

というぐあいになっている。

社会としてみると、
構成員の能力を最大限に引き出すには、
競争させて、勝ったものに報酬を与えるのが
手っ取り早いし、実際効果的だ。
そして、この報酬の源の多くは、
社会の中・外いずれにせよ、負けた人からの搾取だ。

こうして、我々は、日常的に競争し、
負けた人から搾取して、暮らしている。

しかし、それは、
本来したかったこととは違っている。

ちょっとおいしいものが食べたかっただけなのに、
いつのまにか、他人を蹴落とし、
他人から搾取している。

自分を向上させるための
モチベーションを引き出す手段だったはずの競争や搾取が、
いつのまにか目的になってしまっている。

自然と、競争に勝つための能力や
仕組みが育ってゆき、
さらに競争は激化してゆく。

やれやれ・・・

こういう、孔雀の羽みたいな仕組みは、
どうにかならないのだろうか?

みんなが、心穏やかに、
自分を向上させつつ、
自分の能力にみあった暮らしをする。

さらにいえば、自分の能力は
たまたま神から預けられたものなのだから、
能力が高い人は、少し低めに暮らし、
低い人の分を補う、
というふうにはならないものか?

多くの人が自然にそういうふうに
生きるようになるような、
社会の仕組みというものは無いのか?

これが、マルクスの問題、
だったのだと思うのだが・・・

分を知る、とか、
足りるを知る、とか、
そういう基本的なところが
変わらないと、だめなのか?

人間として生きるのは、
ほんとうに大変だ。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「生きるヒント」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事