浦沢直樹さんが出演していた。
売れている連載漫画家というのは、
体力・精神力的に、屈指と言えるほどきつい仕事だと思うが、
それを何十年も続けるのは、すさまじいことだ。
茂木さんも、どうしてコンスタントに
創作しつづけられるのか?と尋ねていたが、
それに対する答えが、「恐怖感」だったのは
ちょっと意外だった。
いろいろな意味で、<書けなくなること>への恐怖、
なのだろうか。
「ひとつの作品を書き終えたときは、
大泣きしたような、吐けるだけ吐いた後のような気分」
という言葉もあったように、こういう人たちというのは、
書かずにはいられない、
吐き出さないと気持ち悪くていられない、
叫ばずにはいられない、のではないのか?
茂木さんが、考えずにいられない、のと同じように。
他に、観ていて印象に残ったのは、
長崎さんの、「浦沢さんは、創造の神様の前でとても素直だ」
という言葉と、浦沢さん自身の
「漫画の神様、僕の右腕に降りてきてください」という言葉。
「自分がおもしろいと思うものを書けば、
みんなも面白いと思ってくれる、そう思わなければ
やっていられない」という言葉もあった。
そして、「なんか気に入らない」と言って、
また書き直し始める姿。
観ていて、村上春樹さんも、同じような感じで
長編を書いているんだろうか、などと思った
同じくNHKのにんげんドキュメントでは、
アニメ監督の神山健二さんが取り上げられていた。
物語をどこに持ってゆきたいか、
まず、ゴールとなるシーンのイメージやコンセプトが
おぼろげにあって、そこを目指して
細部が組み立てられてゆく様子がとてもおもしろかった。
将棋について、羽生さんが、
こうなったらいい、という局面がまずあって、
いかにそこにもってゆくかを工夫する、
と言っていたような記憶があるのだが、
分野は違えど、創造する作業、というのは
似ている部分があるのだろう。
ゴールは、現実、つまり現在の盤面から
かけ離れていてもいけないし、かといって、
近すぎて凡庸でもいけない。
正しいゴールをイメージする力と、
そこまで持ってゆく力。
両方が備わっていることが重要だ。
後者はある程度まで技術だが、
前者がなければ技術は活かせない。
ゴールの設定において、自分に、というか、
自分を通して降臨する神に素直であること。
それによって、邪悪な妄想を寄せ付けず、
質のよい<もの>を生み出し、吐き出すこと、
ができるのだろう。
言い古されたことではあるが、
優れた創作者というのは、
結局、創造の神様の巫女のようなものなのかもしれない。
自分を表現している、と思っていても、
それが、自分を通して、何かを表現している、
ということになっていなければ、たくさんの人からの支持は
得られないだろう。
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ぐれい
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