日々の寝言~Daily Nonsense~

勉強の仕方

書店で、将棋本を眺めていたら、
「勉強の仕方」という文庫本が目にとまった。

羽生さんが七冠制覇した平成8年(1996)に行われた
米長さんとの対談本。もともとは「人生、惚れてこそ」
というタイトルだったらしい。
当時の羽生さんの写真なども載っていて、
思わず買ってしまった。

当時は、将棋界でパソコン上のデータベースが普及し始めた
頃でもあり、現在から振り返って読むとなかなか面白い。

羽生さんが、既に若い頃から、
勉強法というか、自分の能力を高める方法に
とても意識的だったことが伺える。

PC上のデータベースの使い方についても、
最初からポイントを把握していたようだ。

ぱらぱらとめくっていたら、
以下のような発言が目にとまった。

「今は高速道路ばかり走っている人が増えた。
 われわれは高速道路なんてない時代に生まれているからね。
 ギアのチェンジを覚えてきました。でも、これからは
 高速道路をそのまま走って、崖からおっこっちゃうという人が
 どんどん出てくるよ。高速道路を降りたあと、どういうふうに
 運転していくかがむずかしい。」

梅田望夫さんが紹介して有名になった、
羽生さんの「インターネット=学習のための高速道路」論
によく似ているが、これは米長さんの発言だ。

年齢とともに勉強の方法も変わる、という話の中で、
上達するための勉強と、力を維持してゆく勉強とは違うので、
がーっと坂道を急に駆け上るように上達してしまうと、
上達するため、勝つための勉強ばかりで、
力を深めるほうの能力を学習しないで来てしまうのではないか、
というような趣旨で発言されたもの。

だから、意味合いはちょっと違うのだが、
データベースや研究会など勉強する環境の整備=高速道路
という喩えは共通している。
羽生さんの高速道路論の(無意識の?)
ルーツはここにあったのかもしれない。

26歳の羽生さんが、
新しく参入してくる棋士の技術向上が進むので、
これからは棋士の寿命が短くなってゆくのではないか、
と悲観しているのに対して、
53歳の米長さんは、落ちるのも早い人が増えるから、
生き延びるレベルの力を持った人にとっては、
その中で生き延びるのは相対的にはやさしくなってゆく、
と主張しているのも面白い。

現実にはどうだったか、と言えば、
1996年以後、将棋の技術変革はすさまじく、
いろいろな新戦法が現れているが、
羽生世代の天下はまだ続いている。

上の発言の影響かどうかはわからないが、
七冠制覇前後から、羽生さんは、
タイトル戦などでも実験的な手を指すなど、
能力を向上させるのではなく、
深めることにも意識的になったように見える。
そういう努力が今の現実と関係あるのだろう。

それにしても、米長さんという人は、不思議な人だ。
この本での羽生さんに対する態度のように、
自分にとって得になりそうな人に対する面倒見のよさや諂いと、
自分の思うとおりにならない人に対する冷酷さと、
ジキルとハイドみたいな二面性があるようだ。
味方と敵がはっきり分かれるタイプの人だろう。

言っていることも、独特の価値観というか、
一枚裏をめくったような逆説的なところがあって、
なるほどと思わせる部分がある。

1996年という年は、オウム真理教による
地下鉄サリン事件で、日本社会が大きな衝撃を受けた翌年で、
それに関連して冒頭に出てきている
「真理の媒介者を絶対視するな」という発言も印象深かった。

釈迦の教えを媒介している教祖が偉いのではなくて、
釈迦が偉いのだ。適切なレッスン料を払うことは必要だが、
全財産、全人生を預けてしまうのは馬鹿だ、
というのは単純ながらうなづける。

「どう勉強するかという前に大事なことが、
もう一つあるんです。それは、自分の人生の
究極の目的というか、何を求めて生きるのか
ということです。あなたが遠く仰ぎ見る星は
何なのですかと、それが自分自身でわかっていない、
あるいは見失っている人が多いように思います。」

これも、よく言われていることだが、
何度言われても、気をつけなくてはと思う。
手段が目的化することは、必要なことではあるのだが、
それで本来の目的を忘れてしまっては、元も子もない。

とうわけで、なかなか面白い本だった。

羽生さんの世代に対しては、
米長さんの影響力はかなり大きく、
それが現在の将棋連盟の体制を支えているのだ、
ということもよーくわかった。
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