京都旅行2日目。
朝一番の嵐山から嵐電で京都の街中に戻ってきました。
お昼前までに、歴史で大政奉還を学んでいる娘に丁度よかろう、、と二条城を見学することに。
1603年徳川家康の西の宿泊所として作られてから、大政奉還まで江戸幕府の要所要所に
登場する世界遺産ですね。
チケット売り場でチケットを買い、東大手門から中に入ります。
大政奉還が1867年なので2017年は150周年なんですね。
砂利の敷地を南に向かい回り込むと。。
極彩色の装飾が施された唐門。切妻造、四脚門、唐破風(反った屋根の造形)
などの立体的な造形は正面より少し角度をつけてみると際立ちますねぇ。
2013年の大改修で、漆塗り替え、金箔張り、彫刻の彩色などを終え
当時の輝きを取り戻しています。因みにこの菊の紋をはがすと葵の紋があったそうで
二条城が明治政府管轄に変わっていく歴史を感じます。
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これも全部が全部置き換えられているかと言うと、、
車寄せは瓦も置き換え済み
こっちの瓦は葵の紋のまま、と屋内も含めて間違い探しみたいな状況になっている様です。
そんな目線で見ると見学も楽しくなりそうですね。
さてさて、国宝二の丸御殿に入っていきます。
車寄(くるまよせ)から入って遠侍(とおざむらい),式台(しきだい),大広間(おおひろま),蘇鉄の間(そてつのま),
黒書院(くろしょいん),白書院(しろしょいん)の6棟が続いていて。
そこに出入りする人物の格によって襖絵や造りなどが工夫されていて見どころ満載。
車寄正面の欄間彫刻は表と裏のデザインを変えており,表側には五羽の鸞鳥(らんちょう)
・松・牡丹(ぼたん),上部には雲,下部には笹を見ることができます
これ以降、中は撮影禁止なので、文字で振り返ると
【遠侍】
二の丸御殿内で最大の床面積で一の間・二の間・三の間・若松の間・勅使の間等に分かれていて
城へ参上した大名の控えの間。身分によってどの間まで通されるかが変わって来て、それぞれ襖絵などに特徴が。。
入口に近い(幕府的には地位の高くない)間には「虎」の襖絵が書かれていて、ここに通された大名は
「うわー、、これが虎か スゲーなー、なんか怖いなぁ」なんてビクビクしたのでしょうか。
朝廷からの使者を迎える、勅使の間辺りになると、松の襖絵で上記の様な脅しっぽい印象は無くなります。
【大広間】は将軍が諸大名と対面した部屋で最も格式の高い部屋。
この部屋で15代将軍慶喜が諸藩の重臣を集め,大政奉還を発表したんですね。
将軍の座るスペースが如何に格式高く見せられるかといった工夫がそこかしこに凝らされていて
こちらも見どころたっぷり。
因みに、、老中の部屋は癒しっぽい襖絵で、どの時代もこの手の職は
気苦労が多かったんだろうなぁなんて勝手な想像をしてしまいました。
(春から秋の景に雁が舞う様子、雪化粧した柳に数羽の鷺が宿る静かな冬の情景など)
大広間から二の丸庭園を眺めた図。二の丸庭園は家康の二条城造営の頃に作庭されたとされていて
このお庭越しに本丸御殿の天守閣が見えたそうですが
ご多分に漏れず複数回焼失してしまいそのまま再興されず。
そもそも、3代光圀以降200年以上二条城を訪れる将軍がいなかったので
最後の将軍慶喜が入場したころには水も枯れ、荒れ果てていたとか。
今の本丸御殿は御所の中にあった旧桂宮邸を移築したものだそうです。
屋根が丸みを帯びて、膨張したような独特な形をしていますね。
二条城に関しては前から知っている知識もあったのですが、後から色々調べるのも旅の楽しみです。