株高演出で壮大なはめ込みが始まった
【徹底解説】「中国が覇権国家になれないワケ」日本敗戦との意外な共通点 ~情報リテラシー大全「地政学」
5日、どうしても天ぷらそばが食べたくなって、グーグルマップで調べたら近くの和風ファミレスさとで食べられそうなので、さとにいた。すると、従姉妹からライン電話がかかってきて何だろう?と思うと、末期癌だった叔父が亡くなったということだった。以前から、膀胱にバルーンを入れている状態の父親は葬儀には私に代わりに言ってくれといっていたので、雨が降り続いては居たが行こうと考えていた。5年前に母親の葬儀にわざわざ九州から来てくれたからと言うこともある。新幹線で行くとすると、父親の食料品の買い出しとか、お金を下ろしてからとか考えるとちょっと時間が足りないかと思い。飛行機でいくことにして、富士山空港から福岡までの往復のチケットをネットで購入した。
ただ、日曜日も時々風雨が強くなるので、車で行った方がいいか?それとも公共交通機関かと外の風雨の音を聞きながらなかなか寝付けなかった。夜が明けるとそんなに風雨も強く感じられなかったので、助手席に荷物を載せてシートベルトをして東名を使って行くことにした。早めについておけば安心と思い、4時発の飛行機に乗るのに10時50分頃出発した。時々雨は降るがそれほど強雨でも無く、一度日本平のSAでトイレ休憩と持ってきたおにぎりでお昼ご飯の休憩を挟んで、1時45分頃には空港についた。空港の下を通ってターミナルビル方向に向かうトンネルっぽい物があり、前を走る車はそこを通ったが、何分始めていくところなので素直にナビに従って、遠回りをして空港に行った。ただ、駐車場の中→通りに走ると入れたいところに入れられず、少し離れたところに止めたら、一カ所もっと近くに空きを見つけ、他に駐車しようとする車も無かったので、→と逆に進んでなるべくビルの近くに駐車しなおした。
中はほとんど人が居なかった。保安検査が始まる1時間以上前にもついてしまっていた。保安検査の時、てっきり化粧水とか小さい入れ物に入れ直したのを見せるのか?と思ったら国内線はそんなことはなかった。保安検査も済んで待っているときに、福岡上空で雷発生のため着陸できない場合は小牧空港に着陸する条件付きの飛行だと案内があった。フライト自体は小さな機材だったが、私が始めて飛行機に乗った羽田→函館の飛行機より全然揺れず怖い目にも遭わなかった。そして無事福岡空港に着陸できた。しかし問題はその後の交通手段である。高速バスも在来線も止まっていて、ただ九州新幹線のみが運行していた。スタッフの方の言うことには乗車券のみで最寄りの新幹線駅まで乗れるという特別の配慮があると言うことだったので、利用させてもらった。車窓から見る景色は海原鉄道のようだった。19時20分には新大牟田の駅についた。
新大牟田の駅は床が水だらけで駅員さんがモップで拭いていた。椅子やテーブルがある待合室は水は入り込んでなかった。迎えに来る予定の従兄弟の奥さんから電話があり、そこに従兄弟の娘さんも待っているということだった。いくらまっても迎えに来れる様子もなく、従兄弟の娘さんに聞くと道が冠水しているため、渋滞も多くなかなか来れないという知らせがあったという。もしタクシーやバスがあればそれで来てと行っていると言うことだった。21時半頃、今四ツ山神社というところまで来たと連絡があった。地図を見ると渋滞していても30分くらいで来れそうな場所だったので、待っていたが結局来れないと言うことだったので、ホテルを探すことにした。一番近いホテルはもう満員だった。もう一つ山の上の方のリゾートホテルが奇跡的にキャンセルが一部屋出たということだったので、そこに行くので泊めてくださいと頼んだ。しかし、タクシーがない。5人くらいの人が乗り合わせて大牟田駅に向かうというタクシーの運転手さんに、行ったら戻ってきてください。と頼んでおいた。しかしなかなかこない。なので他のタクシー会社も電話をかけた。業務終了のところも多く、まだやっていそうなところはと聞いてそちらにも電話をし用としている時にタクシーが来た。タクシーを待つ間に従兄弟の娘さんに荷物を見てもらって、食料品を仕入れに近くのコンビニに行くと直ぐ食べられる物は何も無く、冷凍食品ならありますよ。ということで、冷凍のピラフやチャーハンとピザとカルピスウォーター、カップ麺などを仕入れた。
夜の山の上に行く道は街灯も無く暗くて、運転手さんも道を間違えそうになったりしながら運転していた。もう、ホテルに着いた時点で11時過ぎだった。電子レンジは部屋にないが、フロントで冷凍食品を暖めてくれ、お皿は部屋に置いておけば良いと行ってくれた。暖めてもらった物を持ち込んでやっと夜遅い食事を取って、順番にシャワーを浴びて寝た。従兄弟のお子さんが娘さんだったから一緒の部屋に泊まることが出来た。彼女も「おじさま、でなくてよかった。」と言っていた。
次の日、一緒に大浴場に行けばよかったが、順番に行ってやけに帰りが遅いなと思っていたら、道に迷っていたそうだ。そんなこんなでホテルで朝食には間に合わなかった。黒い服に着替えて、チェックアウトして迎えにこれるようになったという従兄弟夫妻を待っている間に帰りの電車があるかチェックするとその時点では新幹線だけは動いているようだった。夫にも電話で相談し、交通手段が亡くなる危険性もあるから、香典を従兄弟に渡して帰ることにした。駅で従兄弟の奥さんから2万円も渡されてしまった。せめて1万円でもと返そうとしたが受け取ってもらえなかった。娘一人では困っただろうけど、私が居て助かったからということらしかった。もしも部屋が見つからなかったら、駅に頼んで居させてもらうことしか出来なかった。
福岡に行くと雨は結構やんでいるときが多くて、これだったら新幹線は動いていたかも知れないと思った。しかし、荒尾市辺りは雨が降り続いていたから、新幹線が走っていてもまた駅までたどり着けなくなっていたかも知れないと思うと、「せっかく行ったのに葬儀に参加は取りやめてもどった。」という選択は賢明だったと思うしかない。ただ、お香典を手渡すための旅ということになってしまった。
ただ、日曜日も時々風雨が強くなるので、車で行った方がいいか?それとも公共交通機関かと外の風雨の音を聞きながらなかなか寝付けなかった。夜が明けるとそんなに風雨も強く感じられなかったので、助手席に荷物を載せてシートベルトをして東名を使って行くことにした。早めについておけば安心と思い、4時発の飛行機に乗るのに10時50分頃出発した。時々雨は降るがそれほど強雨でも無く、一度日本平のSAでトイレ休憩と持ってきたおにぎりでお昼ご飯の休憩を挟んで、1時45分頃には空港についた。空港の下を通ってターミナルビル方向に向かうトンネルっぽい物があり、前を走る車はそこを通ったが、何分始めていくところなので素直にナビに従って、遠回りをして空港に行った。ただ、駐車場の中→通りに走ると入れたいところに入れられず、少し離れたところに止めたら、一カ所もっと近くに空きを見つけ、他に駐車しようとする車も無かったので、→と逆に進んでなるべくビルの近くに駐車しなおした。
中はほとんど人が居なかった。保安検査が始まる1時間以上前にもついてしまっていた。保安検査の時、てっきり化粧水とか小さい入れ物に入れ直したのを見せるのか?と思ったら国内線はそんなことはなかった。保安検査も済んで待っているときに、福岡上空で雷発生のため着陸できない場合は小牧空港に着陸する条件付きの飛行だと案内があった。フライト自体は小さな機材だったが、私が始めて飛行機に乗った羽田→函館の飛行機より全然揺れず怖い目にも遭わなかった。そして無事福岡空港に着陸できた。しかし問題はその後の交通手段である。高速バスも在来線も止まっていて、ただ九州新幹線のみが運行していた。スタッフの方の言うことには乗車券のみで最寄りの新幹線駅まで乗れるという特別の配慮があると言うことだったので、利用させてもらった。車窓から見る景色は海原鉄道のようだった。19時20分には新大牟田の駅についた。
新大牟田の駅は床が水だらけで駅員さんがモップで拭いていた。椅子やテーブルがある待合室は水は入り込んでなかった。迎えに来る予定の従兄弟の奥さんから電話があり、そこに従兄弟の娘さんも待っているということだった。いくらまっても迎えに来れる様子もなく、従兄弟の娘さんに聞くと道が冠水しているため、渋滞も多くなかなか来れないという知らせがあったという。もしタクシーやバスがあればそれで来てと行っていると言うことだった。21時半頃、今四ツ山神社というところまで来たと連絡があった。地図を見ると渋滞していても30分くらいで来れそうな場所だったので、待っていたが結局来れないと言うことだったので、ホテルを探すことにした。一番近いホテルはもう満員だった。もう一つ山の上の方のリゾートホテルが奇跡的にキャンセルが一部屋出たということだったので、そこに行くので泊めてくださいと頼んだ。しかし、タクシーがない。5人くらいの人が乗り合わせて大牟田駅に向かうというタクシーの運転手さんに、行ったら戻ってきてください。と頼んでおいた。しかしなかなかこない。なので他のタクシー会社も電話をかけた。業務終了のところも多く、まだやっていそうなところはと聞いてそちらにも電話をし用としている時にタクシーが来た。タクシーを待つ間に従兄弟の娘さんに荷物を見てもらって、食料品を仕入れに近くのコンビニに行くと直ぐ食べられる物は何も無く、冷凍食品ならありますよ。ということで、冷凍のピラフやチャーハンとピザとカルピスウォーター、カップ麺などを仕入れた。
夜の山の上に行く道は街灯も無く暗くて、運転手さんも道を間違えそうになったりしながら運転していた。もう、ホテルに着いた時点で11時過ぎだった。電子レンジは部屋にないが、フロントで冷凍食品を暖めてくれ、お皿は部屋に置いておけば良いと行ってくれた。暖めてもらった物を持ち込んでやっと夜遅い食事を取って、順番にシャワーを浴びて寝た。従兄弟のお子さんが娘さんだったから一緒の部屋に泊まることが出来た。彼女も「おじさま、でなくてよかった。」と言っていた。
次の日、一緒に大浴場に行けばよかったが、順番に行ってやけに帰りが遅いなと思っていたら、道に迷っていたそうだ。そんなこんなでホテルで朝食には間に合わなかった。黒い服に着替えて、チェックアウトして迎えにこれるようになったという従兄弟夫妻を待っている間に帰りの電車があるかチェックするとその時点では新幹線だけは動いているようだった。夫にも電話で相談し、交通手段が亡くなる危険性もあるから、香典を従兄弟に渡して帰ることにした。駅で従兄弟の奥さんから2万円も渡されてしまった。せめて1万円でもと返そうとしたが受け取ってもらえなかった。娘一人では困っただろうけど、私が居て助かったからということらしかった。もしも部屋が見つからなかったら、駅に頼んで居させてもらうことしか出来なかった。
福岡に行くと雨は結構やんでいるときが多くて、これだったら新幹線は動いていたかも知れないと思った。しかし、荒尾市辺りは雨が降り続いていたから、新幹線が走っていてもまた駅までたどり着けなくなっていたかも知れないと思うと、「せっかく行ったのに葬儀に参加は取りやめてもどった。」という選択は賢明だったと思うしかない。ただ、お香典を手渡すための旅ということになってしまった。
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