緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

薄氷を踏むようにして信頼し始めて来た人から梯子を外されたショック

2024-04-05 14:57:55 | 家を建て替える

 自分の中では20日の引っ越しの日を目指して、今日は作り付けの棚の上の部分をとか、下の部分をとか、20日に照準を合わせて計画的に荷造りを勧めているつもりではあったが、片付けもしていかないといけないので次第に追い詰められていった。Mさんが手伝ってくれたことで、短時間でも複数で片付けや荷造りをすると凄く捗ることを実感した。そこで、本当は頼みたくはなかったのだが、休日と分かっていてS氏にも一回でできる手伝いではなく1時間でも2時間でもいいので、手伝って貰う効果を感じたのでということで、頼んでみた、しかし以前からの予定があったのでということで断られた。もしかしたら一ヶ月前に図面のキャンセルされてしまったプライベートな予定を延期してその休みに入れていたのかも知れない。とも思ったので、気持ちよく「了解です。」と返信した。

 夜の部の仕事に取りかかろうとしたら寒気がしたので、早々に休んでしまったこともあった。

 とうとう、このままでは25日の解体の日に間に合わせることは無理、あと一週間あればできそうだけど、と16日にS氏にもいい、お客様サービスセンターにも窮状を訴えた。その日の夜突然S氏が訪ねてきて、「明日手伝います。」と言いに来た。それはありがたい。でも何を手伝って貰ったらいいだろう?と考え沢山有るハンガーの仕分けをして貰うことにした。主に父が使っていた木製ハンガー、プラスチック製ハンガー、針金のハンガーだ。この際針金のハンガーと木製ハンガーは捨てることにしたので、廃棄物収納コンテナーに入れて貰うことにした。でも、後で見るとしっかり仕分けられていない部分も目についた。物置も片付けてくれたが、結局物置から運んできた物を車庫のコンテナにいれるか、車庫の出口辺りに沢山置いておくだけだったので、もし雨が降ったらと思い、私が後から車庫に入れたりと結局、彼のお手伝いの続きや後始末をすることが多く、やはりお子様のお手伝いだったか・・・と初期はがっかりした。

 しかし、引っ越し後の21日の一階の車庫と二階の和室の片付けは大いに助かった。一階も二階も一人で、となったら大いにめげてしまったことだったと思う。一階の入らなくなった段ボールなどの処理はS氏に任せ、私は二階の片付けに専念することができた。一階が早めに終わったのか二階を見に来てくれて、最後に二階を箒で掃いて二階の片付けと照明器具の取り外しをしてくれた。一階にあった段ボールは折りたたんで、一つの折りたたんでいない段ボールにきっちりと詰め込んでおいてくれた。そのようになっていれば、後は運んで捨てるだけである。

 沢山有った昔のヴィッツの傷を隠すためのスプレー缶は物干し台の支えや、私が結婚式に使ったブーケに吹き付けて空にしてから、植木ばさみの先を使って穴を空けてくれた。でもスプレー缶はそのまま燃えないゴミで捨てられることが分かったが、その時は大いに助かったと思った。

 あと、引っ越し前日に照明器具を仮住まいに取り付けて、私がカセットコンロに火を付けられなかった原因に気づいてくれたところ(しっかりと缶が差し込まれていなかった事が原因)に気づいて動画で知らせてくれたことも助かった。

 このように、実質的に様々助けにもなって、頼んだことはしてくれ、また予想外に困ったことを解決してもくれたので、かなりS氏に対する信頼は増していった。

 ところが、後一日で全ての実家の片付けは終わるだろうという前日に接した時の言動は、その時は気づかなかったが、翌々日に凄く心が傷つけられていたことに気づいた。「私が逐一報告していたと思った、色々な困難に対して彼は同様には感じてくれていなかったのか。」「時間に追われ休みたくてもこうしてはいられないと休めず、指のひび割れにもばんそこうを張り替えながら凌ぎ、一つのことに長時間過集中して、それでも間に合うだろうか?とハラハラしながら行ったことが『結果オーライだったから良かったじゃないですか?』の一言ですまされるとか、少しも私の苦労を共有はしてくれていなかったのだな。という落胆である。

 また「顧客理解が出来ていない。」ということに「これだけ片付け手伝っている営業はいませんよ。」という言い方に対しても、「そもそも、二ヶ月でというスケジュール組んだのはあなたでしょ?」と言い返したかったし、一人では無理だから手伝いをしているという事は、事象としては理解していることには理解していることにはなるかもしれないが、その施主の辛い気持ちまで理解していることにはならない。私が欲しかった言葉は「本当にお一人で大変でした。良くここまでこぎ着けることができましたね。」といったねぎらいの言葉だったのだ。

 一人で片付けや引っ越しを短期間で行うことの困難さや大変さに寄り添ってくれているのか?と信頼をし始めた私としては大いに梯子を外されたショックだった。