生き物が大好きだ。 ごきぶり以外何でも好きだ。 その起源は私の実家に
有るのだと思う。 実家は代々農家だったが、 祖父は教師になり、 そして
父も親に習い教師になった。 実家の庭は、 昔農機具(全て人力)を置いた
り農作業をした為、 さして何も無く庭木も柿の木が数本隅っこに生えている
だけだった。 そして私が生まれる数年前、 父の「庭大いじり」が始まった。
母は庭師にやって貰えと止めたそうだが。 まず庭のほぼ真ん中に、 石屋
で買って来た父自慢の四国産のでっかい庭石(元は川の上流にごろごろ転
がっていた岩である。)を、 赤っぽいの1つ黒っぽいの1つどどーんと置き。
その側に子供用ビニールプール程の小さな池を作り、 鯉の稚魚や金魚、
はえ(コイ科の魚)を放ち、 池の周りに芝生を張った。 それから植木屋や
植木市にせっせと通い、 苗木を買って来ては、 庭のデザインやその木の
性質等お構い無しに無計画に植えていった。 私が幼稚園の頃には、 庭
はジャングルの様になっていた。 でもそのお陰で子供の格好の遊び場だっ
たし小さな生き物達の住みかにもなった。 子供にとって彼らは友達だった。
バッタやカマキリ、 アリ、 クモ、 トカゲ、 ヤモリ、 カエル、 ヘビ、 コウ
モリ等々。 池の魚を狙って野良猫や鳥のサギまで来た。 実家ではジュン
と言う雑種の雄犬を放し飼いにしていた。 ジャングルには隠れる場所がい
くらでも有ったし、 季節によって柿やいちじく、 ぐみ、 姫りんご、 びわ等
の食料も手に入った。 木や庭石には登り放題。 家の瓦屋根では昼寝も
出来る。 私は無鉄砲なので池にどっぷり浸かり頭からびしょびしょになっ
て魚と遊んでいたが、 弟は賢いゆえ後で母に叱られるのを恐れ池には入
らなかった。 小3の初夏、 桜の木に毛虫がびっしり付いているのは分か
っていたが、 自分から触らなければ大丈夫と登って遊んでいた。 しばらく
すると、 体中痛い様な痒い様な・・・ひりひりしてきた。 母の所へ行くとすぐ
に病院に連れて行かれ、 薬を塗られ全身包帯で巻かれてミイラの様になっ
て帰って来た。 数日そんな格好で病院通いしていた。 治っても懲りずにま
た桜の木にも登っていた。 今度は慎重に、 幸いもう毛虫に刺されなかった。
木造の家の天井裏には私が生まれる前から住みついている大きな青大将の
主(と父が呼んでいた。)がいた。 彼(?)は天気の良い日に時々天井裏から
降りて来て庭の芝生の上でとぐろを巻いて日向ぼっこをしていた。 犬のジュン
が激しく吠え続けても、 怖々前足でちょっと触っても少しも動じない。 私も
主の頭をよしよししたり尻尾の方を首に巻いたり、 主の体を枕に寝てみたが
舌をちょろちょろ動かすばかりで、 ちっともかまってくれないので放っておくと
いつの間にかいなくなり、 また天井裏に帰っていた。 主が天井裏を移動す
る時ザーザーザーザーと大きな音がするので、 「あっ、 今あの辺にいるな
ぁ。」と分かった。 昔実家の近所では犬を放し飼いにしている家が多く、 飼
い犬同士も仲が良ければ垣根をくぐってお互いの家を自由に行き来していた。
はたから見ていると中にはどこの家の犬か分からないのも混じって、 ボール
やらスリッパやら取り合い庭中走りまわってジュンも楽しそうに遊んでいた。
そうやってみんなで遊んでいた庭も私が中学生の時、 庭師さんの手によ
って整理されジャングルから普通の庭になった。 それでも、 私の子供が
赤ちゃんの時、 「子供達が喜んで遊んでくれるようにあの庭を作ったんだ、
この子も遊ばせると良い。」と父は言った。 「あぁ、 そうなんだ。」と思った。
私も弟も父の作戦にはまっちゃったんだ。 それにしても、 今は亡き父の
自慢のあの2つのでっかい庭石、 「あれどうするの?」弟には無用らしい。
母「さぁ・・・。」
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