ぐるぐる・ぶらぶら

歌舞伎と映画と美術と読書の感想

【映画】名付けようのない踊り

2022-02-05 23:52:41 | 映画
2時間の上映時間の中で、さまざまに感じたり考えたり。

序盤を観る私は、踊りから伝わりくるものが「わからない」。
私は観るにしても物語を読むにしても、おそらくミラーリングして
自分の中に情動を疑似的に起こしている気がするのだけれど、
それを機能させにくいのかな、と思ったり。

畑をやる身体でもって、踊る。

どんな身体でいるか、が、だいじ。
 身体に精神をもってこようとするとき、とてもとてもゆっくりな動きが
 出来た方がよいのだと、身体を動かすワークショップで思ったことがある。
 今の私はぜんぜん、ゆっくり動くことができない。
 急いて、待たずに、移り行こうとしてしまう。
 ゆっくり動くにはちゃんとした身体が要る。

アニメーションで視覚化される「私のこども」のこと。
自分は何を好ましいと思うこどもだっただろうかと記憶を手繰っても
大して出てこない。どれほど私は「私のこども」を封じて来たのだろう。

映像は各地で土地に呼応して踊る田中泯さんを追う。
ふいに、置き去りの生家の畑の土・地面とじゃれ合う自分を想像する。
どんな感じだろう。あんなふうにできたらいい。

頭上の森。ほとばしる。
イマジネーションで描出されるものを必ずしもその形に
身体で表現する必要はないのだという。

そんなこんなで2時間、田中泯さんを見つめていたら、
序盤の「わからない」はゆるゆると融けていった。「わかった」のではない。

田中泯さんの踊りは、開いていて剝き出しで、だから、
何というかたぶん私は照れていたのだ。
ミラーリングは機能していて、オープンに表現された生命そのものに
呼応して私の裡に映るものを直視するという、不慣れな状況に戸惑って
いたのかもしれないし、それは味覚でいえば甘い辛い旨いなどの
馴染みの紋切り表現をあてられない何かのようだった。

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公式サイト:https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/

(2022.2.5)


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