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ショックな情報が!! 純真な日本人を翻弄、同じ日本人としてそんな人はいないと信じたい。 縄文時代は捏造?

2022-08-10 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
昔、何年前だったか? 多分考古学者だったと思うが、土器を焼いて埋めて発掘したように見せかけたというニュースを何かで見た。そのときは非常なショックを受けた。真の歴史として考察され始めれば日本史が大きく捻じ曲げられる恐れがある。もっとも、どこの国でも常に捏造しているので、特別なことではない。
これが氷山の一角でない事を祈りたい。

縄文土器に魅せられていた私は愕然としているところ。どなたか、縄文時代について詳しい方は情報を教えてください。

メソポタミアなどで発掘される、本物の石碑や円筒印鑑などには戦闘の記録などが刻み込まれていることもある。
ここに書かれていることが必ず正しいなどという証拠も保証もない。自分に都合の良い事ばかり書いている王などが多い。また、発掘した人が自分の主観を入れ、想像力を膨らませ研究発表を行うこともある。それが歴史好きの人の興味をそそるのだろうとも理解できるが、真実を知りたいものには厳しい現実。

古代史に興味を持っていた私は、本を読んでいるとき、『これはどこまで信用できるものか』と悩んでいた。そして、できるだけたくさんの情報を集め知識を得て、その後『自分でどれが本物の解説なのかを自分の直感で選び出せるのでは』と思うに至った。ただ、この方法でもまだスッキリはしなかった。タイムトラベルでもしないと真実は見えない。つまり不可能だ、と諦めかけた。

しかし、ある時高校で習った聖書について思い出した。聖書は世界一古い書物である。3500年前にモーセが書き始め(アダムからの系図を計算すると、今から約6000年前の出来事である天地創造についてから書き始められている)、1900年前ごろにイエスキリストの12弟子の中で最後に亡くなったヨハネが書き記した書物が一番最後の記録である。ヨハネは、ローマ皇帝ドミティアヌスに島流しにされ、そのパトモス島で黙示録(啓示の書という名が最も内容にあった名前であると言われている。)を書いた。その後ローマの五賢帝のうちの2番目の賢帝トラヤヌス(Trajan)への交代で島流しから解放され、さらに”ヨハネの福書”や”ヨハネの手紙1〜3”などを書いた。イエスの弟子は皆死に絶え、イエスの死後もう65年以上経っていたのでかなりの老齢で長生きしていた。

約6000年のその聖書の記録と周辺国の歴史書が、同じ時代の戦争やお互いの国の関わりなどを扱っているならば、その部分の双方の記録を調べることができる。一致点が見つかれば作り話ではないことの証拠になる。メデイアのキュロスの円筒碑文などにはまさにそれが刻印されている。キュロスは、ユダヤ人が補囚になっていたバビロンを攻めて、ユーフラテス川を干上がらせて一瞬にして攻略した人物だ。その出来事の起こる約200年前ごろ預言者イザヤはキュロスの名も、どのようにバビロンを攻めるかも書き記していた。キュロスは戦わずして勝利した。


最近の、数々の考古学的発見によって多くの歴史の真実が裏打ちされてきているのは嬉しい。しかし、初めは歴史を学ぶため始めた聖書の研究だが、読んでいるうちにこれが私達の”永遠の命”に関わることが書かれた書物だということがわかってきて、ちょっと青ざめた。私たちの行動や考えは、全てある書物に書かれていると聖書は言っている。どうやらこれはすべてのことが神の記憶の中にあるということらしい。これらの書が開かれる日がいつか来る。人々はこれらの書かれていることによって裁かれるとある。はじめは、ただ歴史的興味でこの古書を調べていたのだが、『とんだことになった。』と何年もの間焦っていたのを思い出す。しかし、永遠に生きるなんて想像もできなかった。

昔、我が子を人身御供にして火の中に投げ入れて捧げていたというユダのマナセ王でさえ、真に悔い改めて神の目からは許されているので、私たちも心から悔い改めれば、命の書から名前を消されることはない。ただ、聖書研究者たちによれば、今はかなり時が迫ってきていてこれから聖書を学び理解して信じる時間はあまり残されていないらしい。何しろ1度読んだだけではなかなか理解できない内容である。60年もボチボチ読んでいる私もまだわからない箇所があちこちにある。翻訳で混乱したり、当時の時間の表し方や慣習などわからない部分がたくさんあるので、現代に生きる私たちの常識で理解しようとしてもなかなか難しい。

何しろ、神ご自身が『私のことを完全に理解するのは不可能』と言われている。私は、無から有を生じるなどということは、反物質やエネルギーについて教えて貰っても、この頭なので理解できない。ここで働くのが信仰ということでしょうか。

2千年前のエチオピアの女王カンダケの高官が、旅しながら馬車の上でイザヤ書をw読んでいたが、「説明してもらわなければ理解できない」と言っていた。これは新約聖書の使徒行伝の8章29節に出ている。この書物に興味があれば、1年かかっても読みきれないものを頑張って読むより、まずは専門家何人かの解説を読んだり聴いたりする方をお勧め。頭の中に大体の聖書の流れが入ってきたところで読み始めた方が良いかもしれない。そうすると、やはり1番のおすすめは、ロゴスミニストーリーの聖書解説のYouTubeチャンネルしかない。他は、あちらこちらを飛び飛びに学ぶため分かりにくい。この牧師さんの研究は素晴らしい。コロOが始まる少し前に、実際に東京でこの牧師様のお話を聞いたのだが、信徒の望みに合わせた生やさしい説教ではなく、真実を追求しておられると感じた。また、韓国の牧師さんのsosTV”ソンケムンさんの黙示録シリーズ”なども、奥深い歴史的洞察に裏打ちされた正確性という点でお勧めだ。ただ、初めての方には難しすぎて意味がわからないかもとも思う。すでに聖書を何度か読んでおられれば、この方のyoutubeはお勧めである。

話を”命の書”に戻すと、無神論者の人たちにはこの話は信じられない話だろう。進化論者の方々にとっても、聖書に書かれていることはナンセンスなのではないでしょうか。なぜなら、人々は劣勢遺伝子から解放され、優勢のものだけが残り、良いほうに向かって常に進化していると信じていらっしゃると思うので。ある有名な科学者の方は、魚は陸にあがりたいと思って足が生えてきて、片足ではバランスが取れないから両足が生えてきて進化したといっていらした。それでは、子供を一人ずつ産めるようになりたいと思ったので子宮を作り出したのだろうか。魚は卵を生むが、陸上に上がってもしばらくは卵を産んでいたのでしょうか? 今持っていないものに憧れ設計し、少しずつ進化してさらに高度な生物に変わっていくということなのでしょう。とすると、魚の知能も能力も馬鹿にできない。陸を歩きたいと思う気持ちや、片足ではバランスが取れないと思う平衡感覚について思考する能力もある。卵を産んでいたのに、途中から哺乳類に変わってきたということですね。『足よ生えろ』と念じ続けると、それが遺伝して子孫に伝わり少しずつ血管から(?)伸び始め、気の遠くなるような時を経てもう一方の足が完成する、ということなんですね? 私たちはこれほど高い知能と能力を持つ魚を食していると考えると複雑な気持ちに。。

最古の書物の観点では、細菌類も、昆虫も、魚類も、哺乳類も、植物も、創造された瞬間完全な、目的にあった機能をもって創造されたことになっている。どちらにしろ、証明にはかなりの時間がかかりそう。我々自分一人一人がよく考えて
行けば結論が見えてくるのだろうか。