すべての人が生き甲斐を持ち、人生を充実した生き方で謳歌できればいじめなどなくなると思う。
問題の根は深い。いじめている人の方がもっと助けが必要な場合もあると思う。
今私たちができるのは、誰かがいじめを受けていると確信できる場合は、いじめられている人を助けてその状態から抜け出せるようにしてあげること、
いじめている人の行為の原因は様々であろうから、この人も助けが必要かもしれない。しかし、まずはいじめられている人を助けなければいけない。
第3者の立場でできることは何か考えてみたい。
私は、いじめられた経験もあるが、それで落ち込んだりしない方でした。忙しすぎて翌日には全く覚えていなかったのです。
保育園に通った3歳の頃も、朝は食事の支度も手伝い、身支度も自分でやり、頭の中はいろいろなことに興味を持ってあれこれ考えていて身体的にも精神的にも忙しすぎた為、ちょっかいをかけられても気にする暇がなかった。
ただ、次の2つのケースはかなりのインパクトがあった。無視できなかったケースだ。
1つ目のケースは、他人がいじめられていると黙っていられないこと。すぐ助けに入ってしまう。後で後悔して、毎日死ぬほど働いていたので、なんで他人のことで振
り回されなければいけないのかと思った。何しろ、中学生の時のことだが、殺されそうになったことすらある。誰もいない倉庫のような教室に追い詰められ、硬いカ
シの木の角材で頭を割られそうになった。それからは、今度は見て見ぬ振りしようと決心。もっと暇な人か、経験のある大人が助けてあげればよいと思った。不思議
なことに、それからは更に忙しくなり、もう何も目に入らないほど夢中で生活することになったので、いじめも目に入らなくなってしまった。一度、中1の担任の先
生が大人っぽい体の女の子の胸をさわっていたのを目撃したが、もう大きいのだから自分で解決してと無視(心中は、ごめんなさい!)
2つ目のケースは、命がかかっていたこと。3人の子持ちシングルマザーで明日食べるものにも困っていた時、宗教グループでのいじめで働く時間が削られ、これは生
活できなくなる前に消え去るしかないかも、と思った時だ。子連れ心中に追い込まれそうになった。今は、何処の何のグループにも入っていない。
結局、いじめられても全然なんとも思わないタイプなのだが、命を絶つかもしれないほど経済的に困窮させられると身動きができなくなる事もある。私の場合は、解決方法を見い出したが、そのまま自殺などに追い込まれる人もあるかもしれず、子どもを巻き込む危険性もあるので心配だ。周りに相談できなかったり、相談を受けた人が的外れな助けを差し伸たり、なんてこともあるかもしれない。深い事情を聞いてみないと、なぜそこから抜け出せないのか、なかなか理解できないこともある。時間的に、また精神的に余裕がある人は、ぜひ2〜3人で相談に乗ってあげて欲しい。また、経験あるアドヴァイザーを探してあげるのも良いかもしれない。一人だけの知恵では手に負えないことが多い。
私は、自分ののびる会で相談室を一人でやっているが、50年以上の経験があるのでなんとかやって行けるのである。また、私の場合必ず天の意思を尋ねてから考えをまとめクライアントに伝える。また、ケースによっっては、もっと専門知識のある人を探す手伝いをすることもある。
私は、私塾をやったり海外の学校で働いたりしていたので、いじめられているのもいじめているのも自分の教え子ということも多かった。アメリカ人には中学校と短大で日本語を教えたが、ほとんどの子が勉強に夢中で、虐めようなどと考えている人はいなかった。日本語は難しいので、みんな必死で真剣に勉強していた。
真剣に考えて目標を持って生きている人は、他人に注目していじめたりする暇はない。相手がいないとひとりで生きていけない人もいるのかもしれない。それが、間違えばいじめという形をとって現れてしまう。いじめて快感を得るとか、村八分にした相手が情報不足で失敗するのを見て喜ぶなどという人は、精神的病いに侵されているのではないだろうか。
以前、新聞で読んだのだが、ママ友との問題で自殺した人がいた。日本だけでも1億人以上の人口があるのだから、そこから逃げ出せばいくらでも助けてくれる人や友達を見つけ出せると思う。環境を変えれば問題が解決することもある。never give up!
平穏な生活をしている時から、何かあったらすぐにどこかに引っ越せるように準備しておくべきだと思う。先祖代々数百年同じ土地に住んでいる人もいるので、離れがたいという気持ちは察することができる。しかし、それは甘い考えかもしれない。私は、世界中の人が集まっている米国に来て、私たち日本人がいかにお花畑か、甘い考えでいるか思い知った。陸続きでいつも近隣諸国からの略奪に遭っているウクライナの様な国の人、政府の横暴に反対して指名手配になって世界中逃げ回っている人、他国から騙され続け虐められ続けている国の人々、同国の異民族または国の指導者からの大量虐殺から逃げてきた人、神武天皇時代より古い歴史的王政があって、遥かに3500年前まで遡れるほどなのに、1970年代という近年になってついに皇帝が消え去ってしまい誇りを失った国の人などいろいろな人がいる。ここに書けないようなひどい境遇の人もいる。
島国である事と賢い指導者や強い侍に守られていた私たち日本人は苦労が足りないのかもしれない。これから日本を襲うかもしれない自然災害について考えてみただけでも、こんなやわな考えでは乗り切れない。誰も頼らず、周りの人を助け自分も助けられるよう、これから起こるかもしれない事態を想像して準備しておくのはどうだろう。そうすれば、いじめられようが何しようが自分と愛する人と、周りの人を助けるための計画煉りや準備だけで忙しくなり、悩んでいるどころではなくなる。また準備さえあれば、いざという時にはいじめからの逃避にしても、災害からの避難にしても、思い切って新しい場所で新しい人生を開く勇気も出るはず。『新しい素敵な友達を見つけるぞ!』という意気込みで毎日を過ごせば、そのプアラン練り、人探しだけでもやる気がでてくるかも。悩んでいても時間の無駄。問題解決に時間を注ごう! 失敗したら、失敗は無駄にならず良い経験にもなるし、新しい”理科の実験”でもするような気持ちでいろいろアイデアを出し実行していこう。
元寇の時、実際は対馬や九州の人たちがどんな恐ろしい目に合っていたのか、鎌倉武士が戦ってくれなかったらどうなっていたのか調べて目を覚まして欲しい。教科書には船が台風で転覆したとか書いてあり、実際の船は半島で即席に作られたK国製の河を航行するのに近いもので、兵士たちはほとんどモンゴルの奴隷だったC国の人達だったとは書いてありません。
最後にシリアスないじめについて考えてみました。
犯罪に近い、または確かに犯罪と思えるようないじめを受けることもあるかもしれません。相手が誤魔化して、大したいじめではない冗談だよ、とでも言うように薄笑いを浮かべて行っているような場合でも、信じてはいけない。自分の犯罪を軽く見せかけようとしている知能犯かもしれない。大体はエスカレートしてきて自分で自分を制止できなくなってくるものである。絶対誰かに助けを求め、真剣に聞いてくれる人が見つかるまでしつこく探しましょう。オンラインで専門家を探しましょう。まずは、行動です。学校でのいじめは、私の場合は先生に訴えると時間がかかりすぎるので、何かあった場合すぐ校長室に訴えに行きました。この方が話が早いです。
せっかくこの素晴らしい美しい地球に生を受けたのだから、生きる意味を見出せるまで頑張りましょう。『この地球に生まれたのは、自分の人生を生きるためで、人のおもちゃになって苦しむためではない。』と自分に言い聞かせ諦めず頑張ろう!
聖書の創世記には、ものすごい苦労をしたヨセフというアブラハムのひ孫の話が出てきます。ヨセフは、兄弟のやきもちから、殺されそうになりますが、奴隷としてエジプトに売られ、真面目に働炊いたので認められ楽になりました。ところが、上司の奥さんに誘惑され断ったところ「レイプしようとした」と濡れ衣を着せられて何年も牢に入れられます。牢獄で知り合った人に良い預言をしてあげて「あなたが助かったら私が預言したことを知らせ、牢屋から出して貰えるようファラオに頼んでください。」と頼みます。ところが、その人はすっかり忘れてしまい、ヨセフはまた何年もの間牢獄に閉じ込められます。このような経験の後でも真面目に牢で働き、その命の助かった人が思い出して、やっと牢獄から出ることができました。苦労しても希望は失わず、今できる範囲で真面目に勤めを果たし、自暴自棄にならず謙虚に牢番などに仕えたヨセフは、最後にはファラオの次の立場まで登りつめました。出世せずとも、自分の苦労を訓練と思い精一杯こなせば、誰でも充実した人生が遅れます。
天は必ず一人一人の人を、求めさえすれば面倒見てくれると思っています。
昔”少女パレアナ”という本を読んだことがあるのですが、いつも喜びの遊びをしている少女のお話で、その本を読んで、物事に感謝する気持ちが如何に自分を幸せにしてくれるかという事を学びました。もう忘れかけていましたが、『毎日、自分が気がついていない自分の幸せを探す』のは素敵なことだったと思い出しました。
他人を虐めないと幸せになれない人は、孤独な人か精神の病いを負った可哀想な人かもしれませんね。
アッ!ところで今度こそほんとうの最後に、言いたい事があります。
日本人はお花畑とか、茹でガエルとか言われています。ある有名な女性は、ご自分でどんどん仲間を集めコミュニティを作り理想郷作りをしています。そして、「日本人は馬鹿だ。言っても無駄な人は相手にしない。」と言ってらっしゃいました。勿論かなりいろいろな形で多くの人を救おうと努力はなさってくださいました。日本人の盲目さに諦めた彼女のもとには、真実に目覚めた才能溢れる方々が集まってきています。
黙示録11章18節にはには、「地を破壊するものを滅ぼす時が来た。」と書いてあります。神は悪に対して復讐してくださいますが、聖句から調べてみると、それまで忍耐するように言われています。自分の中にも不完全さがあり気づかずに罪を犯しているのだから。と書いてあります。神は、3500年前ごろ、エジプトで奴隷だったイスラエル人を救い、豊かだけれど子供を火の中に投げ入れて犠牲を捧げるなどおぞましいことをする悪の都市が多いカナンの地に連れ出しました。そのずっと前(時には100年くらい待っておられる)から悪をやめさせるよう訴える人々に、「アモリ人(その地の代表的な人種)の悪が満ちるまで我慢しなさい。」と言っておられました。神は、悔い改めるのを忍耐して待っておられたのです。しかし、それは実現せず、ついにその地はイスラエル人に与えられることになりました。
聖書は世界中の人のために書かれました。キリストを信じたクリスチャンだけの物ではなく、ユダヤ人もクリスチャンも世界中の人に神について知らせるよう任務を追っています。いつも正しいと思い込んでいる礼儀正しい日本人が一番頑固で自分の弱さを認めないようでもあります。
井の中の蛙にならないよう、真実を探り私たちの置かれている状況を探りだしてみませんか。世の中は厳しい状況です。
ぬるま湯に使って、まだ大丈夫と言っていられる状況ではありません。国全体としていじめに会う可能性だってあります。