世の中、低所得層にはなかなか思うようにことが運ばない。なぜなら、入り込めない社会や階層の人たちと同じことをしようとしても、その方法を教えてくれる人が周りにいないから。学問を極めたり、うまくチャンスを掴んだり、まあいろいろ方法はあるにしても、かなりの努力と苦労とが待っている。私のある生徒の母親が言っていた。「世の中コネですよね。」なぜ、私にそんなことを言うのか理解できなかったが、今考えてみると、私が自立のために自分の経験や資格などを生かそうとしても、いつかアイデアを盗まれ、ある程度まで上手くいくと其の後は下り坂なのを知っていて同情してくれたのではないかと思う。そんなことはほとんどの個人事業主は百も承知なので、同業者や個人事業主同士で助け合ったりしてなんとか頑張っている。しかし私のようにアラフォーで海外に来て、シングルマザーで時間も無く仲間も見つからない人間はアイデアだけで一人で勝負するしかない。まあ、人間誰しも何も知らず生まれてきて、周囲の人々からだんだんといろんなことを学んでいくので文句は言えない。
ある時、生徒の親が日本帰国のため挨拶に来られたのだが、言った言葉に度肝を抜かれた。彼女も私を気の毒に思ったみたいだ。「先生、本当に子供たちがお世話になって感謝しています。実は、私は3年間ほかの塾の先生からお金を貰って先生の教え方をスパイしていました。」どうりで、『私のやり方とそっくりの教え方を強調して宣伝したり、なんとテキストまでそっくりのを使ったりしている人が何人もいるはずだ。』と思った。外国で真似する人がいなければ、日本である程度仕事をしてきた私の真似をしたいという気持ちはわかる。ある有名なビジネスアドヴァイザーも「起業するとき手っ取り早いのは、うまくいっているような人を探し、なんでも真似して始めることです。」と言っていた。世の中はそういうものである。言語の問題を抱え、片親家庭の親子4人で誰の助けもなくやっと生活している身にとっては非常に苦しい状況。ご主人が高級とりで片手間に真似ながらアルバイトがてら仕事を始め、ふんだんにある収入で設備投資も簡単(私は借金してやっと)、さらに月謝を低額にして生徒集めができる。この世は不公平。
いつも思うことは、いつも読んでいた聖書や、古代バビロンの法典に『孤児や、やもめや、異国の人に親切にしてあげなさい。彼らから貪ってはならない(弱者で情報が少ない人たちを騙して儲けること。)」と書いてあること。”天の神はいつも弱い人々を身守っていてくださると実感する。心配事や苦労が多すぎて、明日も生きていけるのだろうかと思う時、自分の判断で失敗をやらかすことがある。そんな時はマタイの福音書6章を思い出す。「明日は何を食べよう、なにを着ようと思い煩うな。明日のことは明日(が)考えれば良い。」『そんな!明日では遅すぎる』と思う。普段から創造者がいて見守っていてくださるという心で生活していないと、なかなかそんな気持ちにはなれない。この6章の聖句の中には「神の義と神の王国を求めなさい。」とも書いてある。我々が『生活苦で心が潰れそうだ』と思っていても、『子供のためにも、こんな生活ができるようにならなければ』と考えても、それが正しいのか、自分や子供達にとって最良の将来の設計図を描いているのか、よく考えてみる必要がある。苦しんでいようがなんだろうが、これらの考えは”自分さえ良ければ良い”という考えにつながる恐れがある。祖母や父がいつも言っていたことわざが頭をよぎる。”分相応に風が吹く”この二人はいつもことわざで子供達を制していた。物質文明の行き詰まり感が増している今日この頃は特に思い出す。
私がいつも疑問に思っていたことがある。
海外で暮らしているかなり豊かで楽そうな人たちが、ある面では私達低所得層の人たちよりさらにお金を使わずに楽に海外生活をしている様に見えること。いくつもの点でそうなのだが、今日はビザについて書いてみようと思う。
私には、3ヶ月の観光ビザで来ている人が、何ヶ月経っても何年経ってもずっとアメリカに住んでいる事が不思議だった。「この方は不法移民なのだろうか?」と思ったりしていたが、それほど親しくない私には聞き出せなかった。
皆さんはなぜだと思いますか。私のブログを読んでいる方はぼっちさんやシングルペアレントが多いと思うので、知らないかもしれません。日本とアメリカ間の往復を何年も繰り返していた方は、とても裕福そうだったので納得できる。でも、『日本に帰らずに、ビザが切れてもまだいる人はどうして?』といつも思っていました。
私はある日、どうしてか気づきました。ここ、ポートランドやシアトルは簡単にカナダに行けます。車で2〜5時間のドライブです。一度国外に出て、また戻ってきて観光ビザで入国すればオーケーです。カナダも友好国で多分観光ビザが自動的に出ます。申請する必要はないと思います。最近5〜6年は、カナダ入国は一時的にstop overするだけでもあるビザが必要になりましたが、簡単に申請できます。コロナでの検査などで、最近はどんな様子かわかりませんが、とにかくある国に長く滞在したい人には、経験あるお金持ちさん仲間たちのいろいろな情報が入ってきて、私たちそういう仲間のいない人たちには手に入らないという事なのです。別にルール違反ではないし、長期滞在したい国で働いたりしなければ法律違反でもありません。
何も知らない私は、期限なしの永住ビザを盗まれ再申請した時に期限切れのに変えられても気がつかないほど抜けていますので、正に生馬の目を抜く外国で生きていけるわけがありません。今のところなんとか天の助けで生きていますが、歳はとる一方だしいつまでもつのやら。。
3年の特殊ビザが切れた後も、2年ほど滞在した人もいました。彼らは働いていなかったので多分観光ビザのやり方でずっと住んでらしたと思います。これらのお金持ちの人たちは、私たちが聞いてもなかなか教えてくれません。自分が本当に馬鹿だと思うのは、人に何かを尋ねられると何もかも教えてしまって、結果的に自分が窮地に陥ることもある時です。
ぼっち低層は知恵を出し合い、助け合いましょう。インフレもひどくなってきています。ますます助け合いましょう。上層部の人たちは上手に助け合っています。底層部の人々を上手にマインドコントロールして自分の利益となるよう持っていく事が上手です。全てのシステムは出来上がっているのですから、そこに入れない人が上手に少しでも豊かな暮らしをしたいと思うのであれば、自分より低い位置の人がいないので人を利用することはできませんが(勿論そんなことはしたくありませんが)助け合って平等に富を分け合えるような小さなグループをあちこちに作ってその村同士協力していくしか方法はありません。
次回は、前にも書きましたが、野菜の窓際やバルコニーでの栽培に役立つ、ボトルカット法について書きますのでお楽しみに。
こちらの写真は、日系人のかたが始めた地元産が多い新鮮なマーケット。美しく並べられた高級マーケットの商品に見劣りするが、そのお値段で本当に助かる!その上フレッシュ!
この質素なお店が慎ましい人達を助けているのを見ると、高いものがたくさんあれば幸せとも言えないと思う。良い品質の製品や食品は素晴らしいが、知恵を出し合ってみんなで一緒に幸せを得ることもできる。
オーガニックなど手が出なかった私は、息子たちにほとんど栄養の無いものや添加物いっぱい、砂糖も塩も安い身体に悪いものを食べさせるしかなく、心の中で泣いていた。ところがなんと、この子たちは病気もせず元気で健康に育ってくれた。小鳥の餌程度しか食べなかった子も、肉も魚も卵も食べなかった子もだ。これらを食べられた子達でもご飯にちょっと散らすだけ(しか買えなかった)。あまり栄養が取れなかった子たちがメキメキ成長して行ったのには驚いた。体力もある。これって、戦後の私たちの食卓みたいだ。ご飯だけで育っていったようなものだ。この子たちを例にとっても、物質より心がまず第一であることがよくわかる。心の持ち様によって自分を病気にしてしまう人がいる。また、そうさせようという悪い圧力を外部からかけられることもある。人間は死ぬまで戦いですね。”丈夫な人たち(何事もうまくいっている幸せな人たち)には薬も医者もいらない”、2千年前に現れたイエスキリストは、苦しんでいる人たちにこう言いました。重圧に苦しんでいる人たちを助けていると「あの人は、あんな悪い奴らと一緒にいる。」と悪口を言われ、その、悪口を言っていた指導者達に先ほどのようにおっしゃいました。イエスは貧しく生まれた人、コネがなく努力してもなかなか豊かになれない人、貧しさからは脱出できたけど心は救われていない人などに優しく接して救いの手を述べていかれました。ブッダもご自分は豊かな家庭に生まれたけれど、やはり悩みのある人々の心を救っていかれましたね。いろいろな儀式を行い、その莫大な費用を請求したりされましたか?
**悩みの元凶を自分が作っている事が多いのをご存知でしょうか。自分にばかり焦点を置いて物事を考え、自分の幸せばかり祈っていると永遠に幸せになれないことについては?
また、今度その事についてお話ししてみたいと思います。私は、幼児の頃から何度も命の脅かされる事態に遭い、それでもなんとかこの歳(70代)まで生きてきました。これらの異常な経験で、「私は生かしてもらっている。自分の運で助かっているのではない。」と感じ、何度も起きたことで偶然ではない、と理解できました。こんな危険に何度も遭遇、事故死の危険3度(例.車で逆さのまま空中を飛び反対車線に逆さのまま着地して無傷。ドライブテストでも相方の生徒がトラックに突っ込みそうに。。)、溺死の危険、伝染病死の危険、食中毒で瀕死になどなど。いつも冷静になって天に助けを求めた。皆さんもよく考えてみれば思い当たる点があるかもしれません。守護天使か守護霊かわかりませんが、天を仰げば助けが来ます。自分で解決する人には助けはいりませんのでほっとかれます?そんなに自信があるなら自分でおやりって言われてるかも?
私たち死にゆく人間がいかに弱い存在かを感じとり、天からの力に頼り、目の前にある難問に押しつぶされないようしたいですね。私はそのお手伝いをしています。
自分の知恵だけに頼れば、知らずに道が曲がっていってしまうことがあります。