ウクイライナは大変な状況ですね!
結局、我が家のアロエ兄弟姉妹と同じく、同じ母の子で同民族か?
百科事典で調べると、どうもそうらしいロシアとウクライナ兄弟喧嘩?
。
こちらはお母さんアロエ
昨日、外出用ジャーに入れようとした煮えたぎった甘酒を足と手にかけ大火傷。 お母さんアロエのおかげで、痛みも赤みも半分は消えた。
13世紀の昔から、ロシアやウクライナは大変な地域!
下記の百科事典ではモンゴルに攻められたと書いてあるが、それ以前はトルコやヴァイキングからも侵略され、ヴァイキングとの混血も多くあったらしい。
スキタイ族にも攻められた?
東西の交通の要所であり、南方ステップ地帯の騎馬民族からも脅かされ続けている。馬にまで金の飾りをつけていた黄金で有名な裕福な騎馬民族スキタイか?
なぜそこに住む?
やはり、交易から入る莫大な富の魅力が引き付けるのか? 世界には貧しそうでありながら自給自足可能な、意外と豊かな国も多い。交通の要所、穀物地帯、天然ガスの宝庫、こんなに豊かでいて狙われないで済む筈はない。旧約聖書には、昔のテイルスやコリントなどの様な豊かな交通や商業の要の都市などが記されているが、最後は傲慢になり滅ぼされている。儲かるからと自分で選択して住み続けるのであれば、リスクは当然ある。テイルスについては、聖書に面白い話があるので次の記事であげますね。
コサックの話
昔聞いたお話では、ロシアがまだ小さい国だった頃、モンゴルに攻められ捕虜にされ(多分奴隷同様)こき使われたが、そこでモンゴル人の騎馬軍から騎馬戦を学び強力な軍隊を持てる様になった。これらの強い人々がロシアのコサックで、逞しい足で私たちには不可能なダンスを楽しんでいる人々ですね。今もいるのかな?あの強〜い体で一対一で戦ったら無敵。このロシアが心配性に陥りどんどん領土を広げ、ついには太平洋まで来てしまったという研究者もいる。子供の頃のひろばあちゃんの恐怖感は南からC国,、北からR国が攻めてくるかもという妄想から来るものでした。周りで何が起こってもあまり動揺しない性格は、その恐怖感に比べたらそれらの事が小さい事の様に思えたからかも?
平和と安全維持には、普段からサバイバル精神を持続することが大切。
普段からサバイバル精神を保っている人は、いろいろな困難が突然やってきた時に対応すべき準備が、精神的にも物理的にもできていると思います。
周りに頼りがちな人は、その頼れる人たちもいつかは老いるか病気になるかもとか、または様々な問題に遭遇するかもなど考えない様にしているのかもしれない。その、ひと任せ状態が永遠に継続すると自分で自分を騙し続けているかもしれません。
でも、誰にも死が避けられない様に永遠に続くものはないというのが現実です。
ロシアWikipedia 歴史的な国名 — 歴史的な国名. 詳細は「ルーシ (地名)」を参照. ロシアの国名は、現代のロシア北西部とウクライナ、ベラルーシにあたる ...
ルーシ キエフ・ルーシの滅亡以降、中世後期・近世前期においてルーシ人(ウクライナ人・ベラルーシ人[4)、あるいは東スラヴ人(ウクライナ人・ベラルーシ人・ロシア人)が居住する東ヨーロッパの広地域の名称。
チンギス・カンの西征(百科事典から) 1220年代のはじめ、ルーシ連合軍はモンゴル軍の前に大敗した。この戦いは、今もロシアやウクライナでは記憶されている。
1238年の夏、南へ転じたバトゥ(モンゴル人)はクリミアを襲い、さらに東部のモルドヴィア、ルーシ東部、ヴォルガ・ブルガールも破壊した。1238年の冬にはモンゴル軍は一旦休養のため北カフカスに移り現地の諸民族の征服を行っている(モンゴルのグルジア・アルメニア侵攻、チェチェン侵攻(英語版))。
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