多くの人が聖書の誤訳に惑わされ、起こりもしないようなことを起こると信じて待っていたりするのは、聖書に書いてある通り「知識がなければ惑わされ嘘を信じて騙される。」ということが現実となっているからなのか。
そ
その聖句は箴言という書に書いてあったような?
聖句の箇所が思い出せない、情けないひろばあです。調べてみると、ある一つの箇所でも、訳によって
『これ·それ·あれ』、「え~~?、どれが本当?」意味が変わっちゃう。「きっと、国文法の復習ね。
小学2年生頃に習った、『こそあど言葉、これ·それ·あれ·どれ?』、ジョークで~す❗」
翻訳を頭から信じず、しっかりヘブライ語・アラム語・ギリシャ語などの原文を調べ、一つの翻訳に固執し過ぎない牧師さんのいる教会は信用できるかな?「こうなのです❗私達はこの様に考えます。(私はそんなこと言ってない)」と強く考えを押し付ける人って、あらゆる可能性を追求しない人で。誤導される恐れあり。最初から誤導が目的の場合もあるのかな?
だから聖書は、頭からすべてを信ぜずよく聖書を研究した人々🤔を褒めているんですね😀🎶。」
ある牧師さんは、「私だって間違っているかもしれない。人から教えてもらうだけでなく、
まずは自分で調べてください❗」と、必死で訴えていました。神との関係を築くには、ひとり
ひとりが自分の頭で考える必要があるという事を言いたいらしいです。
私は、東京でこのような信頼できる牧師さんを見つけ、集会に参加してきました。
このような方は、ただ面白おかしく話したり、興味深い政治の話をしたりするだけではなく真剣に聖書を調べ多くの人に伝えようと努力しています。しかし、こういう方は数としては少なく非常に残念。この方こそ”本物の羊飼い”だと思います。聖書では、羊飼いはイエスを表したり、人々に神についての真実を教えるよい教師を表したりしています。
ここの教会はオススメです!
黙示録の第一章には、次のように書いてあります。
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。
つまり、90歳前後でローマ皇帝に油の鍋で煮られても死ななかったヨハネ、イエスの亡くなった後60年以上も生き残っていた人が著者は自分ではないとハッキリ書いている。
“ハルマゲドンとか、獣の数字666”とか、興味本位で面白そうに書いたり話したりしている人達の話にのって、神から遠ざかり命を無駄に失う人たちの仲間入りをしないよう注意していきましょう!
次に3節にこうも書いてあります。
3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。
「この黙示録は読む必要がない。」とか、「神聖なものなので平信徒は読まなくても大丈夫。」とも言われることがあるらしい。
でも、1章3節では、確かに聞いて守れと書いてありますね。
黙示録の最後の方に、書かれている言葉は?
黙示録22章
19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、、とり除かれる。
誤訳はどうなのかな?と考え込んでるひろばあです。
そ
その聖句は箴言という書に書いてあったような?
聖句の箇所が思い出せない、情けないひろばあです。調べてみると、ある一つの箇所でも、訳によって
『これ·それ·あれ』、「え~~?、どれが本当?」意味が変わっちゃう。「きっと、国文法の復習ね。
小学2年生頃に習った、『こそあど言葉、これ·それ·あれ·どれ?』、ジョークで~す❗」
翻訳を頭から信じず、しっかりヘブライ語・アラム語・ギリシャ語などの原文を調べ、一つの翻訳に固執し過ぎない牧師さんのいる教会は信用できるかな?「こうなのです❗私達はこの様に考えます。(私はそんなこと言ってない)」と強く考えを押し付ける人って、あらゆる可能性を追求しない人で。誤導される恐れあり。最初から誤導が目的の場合もあるのかな?
だから聖書は、頭からすべてを信ぜずよく聖書を研究した人々🤔を褒めているんですね😀🎶。」
ある牧師さんは、「私だって間違っているかもしれない。人から教えてもらうだけでなく、
まずは自分で調べてください❗」と、必死で訴えていました。神との関係を築くには、ひとり
ひとりが自分の頭で考える必要があるという事を言いたいらしいです。
私は、東京でこのような信頼できる牧師さんを見つけ、集会に参加してきました。
このような方は、ただ面白おかしく話したり、興味深い政治の話をしたりするだけではなく真剣に聖書を調べ多くの人に伝えようと努力しています。しかし、こういう方は数としては少なく非常に残念。この方こそ”本物の羊飼い”だと思います。聖書では、羊飼いはイエスを表したり、人々に神についての真実を教えるよい教師を表したりしています。
ここの教会はオススメです!
黙示録の第一章には、次のように書いてあります。
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。
つまり、90歳前後でローマ皇帝に油の鍋で煮られても死ななかったヨハネ、イエスの亡くなった後60年以上も生き残っていた人が著者は自分ではないとハッキリ書いている。
“ハルマゲドンとか、獣の数字666”とか、興味本位で面白そうに書いたり話したりしている人達の話にのって、神から遠ざかり命を無駄に失う人たちの仲間入りをしないよう注意していきましょう!
次に3節にこうも書いてあります。
3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。
「この黙示録は読む必要がない。」とか、「神聖なものなので平信徒は読まなくても大丈夫。」とも言われることがあるらしい。
でも、1章3節では、確かに聞いて守れと書いてありますね。
黙示録の最後の方に、書かれている言葉は?
黙示録22章
19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、、とり除かれる。
誤訳はどうなのかな?と考え込んでるひろばあです。
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