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ルカ:大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からのものすごい前兆がある。

2022-09-20 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
新約聖書の中の3冊、マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝の中には、イエスが話された世の終りに関して書かれた章があります。 

 この他にも、旧約聖書のあちこちにその預言が散りばめられています。更に、聖書の最後の書である黙示録にも、イエスの12弟子の一人でイエスに付き従っていてイエスを親しく知っていた人であり、他の弟子からはイエスが愛した弟子と言われていたヨハネが世の終わりに起こることを書いています。

 しかし、この黙示録は22章にわたる長い書物で、謎のような言葉も多く、牧師さん同士でもかなり解釈が異なっていたりして理解しにくいところが多いため読む気にならない方が多いようです。ヨハネはこんな出だしで書き始めています。黙示録1章1節:イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。

 聖書によると、神を見て生きていられる者はいないと書いてあります(出エジプト記33章20節)20  また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。
つまり、神との対話は可能ですが、その膨大なエネルギーの為近づけないようです。それで、神はまずイエスにお伝えになっているのですね。

謎が多いですね。私たち人間には神のお考えを完全に把握するのは無理だとも書いてありました。何しろ、神のおられる場所は第3の天と言われている場所だと思いますが、時間などはないのです。量子論の世界ですね。
創世記1章14節
14 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり〜〜

良かったら、わりの日に言及している3人の聖句を読んで見てください。しかし、これだけでは情報不足です。他の著者の終わりの日のしるしもどんどんを読んでいくと、おぼろげながら全容らしきものが掴めていきます。
ヨハネが、ある大きな宗教組織を大いなるバビロンと呼んでいて、仲間だったのに国々の王達に身ぐるみ剥がされ、最後には徹底して富を奪われるようなことを書いているのも、昨今の宗教叩きを観ていると興味深いです。

マタイ伝24章
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
 14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子(イエスのこと)も知らない、ただ父だけが知っておられる。
37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
 39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

マルコ伝13章
6 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って、多くの人を惑わすであろう。
7 また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
 8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。
19 その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。
 20 もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。
4 その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、
25 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
26 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
 27 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
1 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
32 その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
 33 気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。

ルカ伝21章
8 イエスが言われた、「あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたし名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな。
9 戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」。
10 それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
 11 また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からのものすごい前兆があるであろう。
25 また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、
26 人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。
27 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

助かる道は、自分の成功ばかり追わず、すべての人が公平に良いものを得られるよう助け合うことらしいです。

永遠に生きるチャンスの鍵はイエスキリストにある。 悪魔って誰? 神の神聖な奥義は知らぬが仏か?

2022-09-19 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
皆さんこんにちは。縄文ばあばは、60年近く世界最古の本を読んでいますが(ボツボツ)、世界の古代史を調べるため読み始めたのにあまりにも重要なことが書かれていて、それに気付いた時には”とんでもないことを知ってしまった”と焦りました。その上、『世界の人口の3分の2の人々は既に知っているのでは』と言われていることにも対しても焦りを隠せませんでした。何しろ、身近にいる日本人の誰もこの古書、聖書を読んでいるようには思えなかったからです。クリスチャンの幼稚園に行っていた親戚の子たちも気付いていないでしょう。『知らなかった方が幸せ』とも言えるでしょう。キリスト教の高校へ行って気づいたことは、我が家がクリスチャンの家庭の理想のような家庭で、教えられずとも聖書に書かれているような生活をしていたこと。ただ、家族全員が勤勉で、毎朝家の掃除を終えると身を正して神棚と仏壇に手を合わせ、家族での喧嘩もなく和気藹々。男がお酒を飲まないとこうなるのでは?とも思っていた私。しかし、聖書には業では救われないと書いてあるので、心の持ち方が大事で外見ではない。

『なぜ人間が創造されたのか知ったり、世の終わりについて知ったり、亡くなった人たちは世の終わりのあと千年王国というものが来て、その千年の終わりに生き返って最後の審判を受けると知ったり』そんなことは知らなかった方が良かったという人も大勢いるでことでしょうし、嘘だと思う人も多いでしょう。私も初めそうでした。「まあ、知りたい人にだけ知らせておけばいいのよね〜。」なんて思っている縄文ばあばです。

ある聖句には、『知らずに亡くなった人の死は知らせなかった人の責任』と書いてあって、またまた焦った私ですが、多分これは、バビロン捕囚のユダヤ人たちの中に暮らした祭司の子エゼキエルのような、責任の重い立場にあった人への訓戒でしょう。

ところで、新約聖書のマタイ伝(マタイ書ともいう)1章は、
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。と始まります。
2千年前のことが書いてあると知ると、古代史好きの私はワクワクしちゃいます。

2節からこう始まります。
2 アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、3 ユダはタマルによるパレスとザラとの父〜〜〜6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、7 ソロモンはレハベアムの父〜〜〜       <15 節へ飛ぶと>
〜〜〜15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、16 ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。

このマタイ伝の系図には、生存期間や年齢は示されていないが、歴史や考古学的発掘によって既に調査され年代は証明されています。例を挙げると3節に挙げられているユダは父ヤコブと一緒に紀元前2000年頃の飢饉の時エジプトに移住した人で、当時のエジプトの王の名前など調べればどの年代の人かわかります。紀元前1000年頃のダビデ王の時代や息子ソロモン王の時代も、周囲の国々との交易などの記録や同盟関係などを調べればすぐ割り出せます。ソロモンは、神殿を建てる為テイルスから有名なレバノン杉などを輸入しています。

さて、イエスキリストのその1000年前の先祖にはダビデ王がおり、ずっと辿って行くとアブラハムにたどり着きます。聖書には、”神に祈っても、イエスを通さなければ祈りが聞き届けられない”と書いてありますが、皆さんはどうしてだと思いますか? これは、人間の生き方について非常に重要な問題が潜んでいて、知っても受け入れられない人も多くいます。

新約聖書 ヨハネの福音書16章23節
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。」

聖書には、アダムの罪が人類に入り、その罪によって人間が死ぬようになったと書いてあります。人間は、本来は永遠の命を持続させることができる存在だったことが聖書の記述から明白です。が、信じるのは難しい。わたしも10年以上それだけは受け入れられない、人間は死ぬものだと思っていました。ニュートンのような科学的な目で物事が見れる人だと目に見えないものが存在する事も、次元の違うところに霊的な存在があるということもすんなり受け入れられるのかもしれません。

聖書には、一人の義人が代わりに死ねばすべての人の罪が許され、皆が元どおり永遠に生きるチャンスを得られると説明しているようです。しかし、私たちは人間の両親から生まれているのでその義人にはなれません。

アダムもイエスも神によって創造されたので同じ価値のある者で同質のものと言えます。イエスはご自分について「私はアブラハムが生まれる前から存在している。」と言って、ユダヤ人を怒らせました。イエスは神の子であり、聖書にはこの世の全ての物は彼によって生まれたと書いてある箇所もあり、理解が難しいのでまた別の時に説明しますが、別の聖句では、神の言葉(ロゴス、代弁者)と言われていて、旧約聖書の中にはイエスについての聖句が今まで見つかった箇所だけでも200以上あると言われています。

ローマ人への手紙5章(パウロ書)
12そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に〜〜
18こういうわけで、ちょうどひとり(アダムのこと)の違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとり(イエスのこと)の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

皆さんは、牧師さんたちが "イエスが全人類の罪を負った”と言われるのを聞いたことがありますか。

フィリピ人への手紙(=ピリピ)2章6-8節  キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

聖書を熱心に研究していない人たちの中には、イエスは普通の人間だという方もおられます。マリアが妊娠したと知ったとき、婚約者のヨセフは同じように考え、婚約を解消しようとしました。しかし天使がきて彼を留め、イエスは神の子だ と知らせました。イエスは霊の被造物なのでそのまま我々人間の罪を追うことができず、マリアから生まれるという形をとって我々と同じように人から生まれ、アダムと同じく3次元の肉体も持たれました。神の子という立場では神に創造されたアダムと同じで、同じ価値を差し出し身代わりになって死ぬことができました。

人間を救うために神がどうなさるかは、天の天使達もその進行状況と神の解決法
を凝視していると書かれています。神がただそのまま人間を許せば『いい加減』と思われるでしょうし、そのまま滅ぼし絶やし新しく別の人間を創造されれば、『失敗してやり直しをしている』と、思われるでしょう。

天使たちにしても、天使長で高い地位にありながら神になりたいという野心を持って裏切ったルシファー(悪魔の名前)や、その仲間の何億もの堕天使(悪霊)という追随者が天にいますので、天使たちにも他人ごとではありません。
悪魔とかサタンというのは、名前ではなく中傷者、敵対者という意味です。この神に敵対する勢力は、正しい人や神に忠実な天使たちや人間たちの悪口を言い続け、口であげ足取りをするのが特徴です。旧約聖書のヨブ記のはじめを見るとよくわかります。自分のことことを棚に上げ、他の人に注目させ、自分の悪事は隠せると思っているのかもしれません。正しいことをしている人は忙しい人が多く、人のあげ足取りをしている暇はありません。

また、長々と書いてしまいました。
まあ、こんな書物もあると知っていても良いのでは?
本当に世の終わりがくれば、知っていて良かったと思うでしょうし。来なければ、それはそれでハッピーエンド。

無銭旅行体験や、ヨーロッパ3カ国10万円以下で博物館巡り記などや、災害時のサバイバル、日本で台風の中でのキャンプの体験、オレゴン・イエローストーン・カナダのバンフ・アイダホ・モンタナ・ワシントン州の一人ドライブ記なども思い出しながら書いちゃいますので、また読んでくださいね。どこにいても、今は女性にはかなり危険ですので、これから旅やキャンプを計画されるにはようく注意してください。
が世界中の船員さんたちが闊歩していた危険の多い港町の繁華街で育った縄文ばあばは逃げ足が早いですが、普通の人はちょっと違うらしいので心配です。
では、今日はちょっとシリアスなストーリーでしたが、面白い生活の役に立つ聖書の話は山ほどあるので、もっと知りたい人はまたこのブログをチェックしてね。


終わりは近い? アダムの系図、ダビデの系図、イエスの系図などを計算するとわかる事。

2022-09-18 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
ほとんどの牧師さんは言う。
”終わりは近い”と。

この方達は、預言を計算で割り出していて、いつ終わりが来るのか大体わかっているらしい。

また、世の終わりのしるしというのも、聖書のあちこちに書かれているので、その出来事が起きれば今私たちが大体預言の中のどの辺りの時代に生きているのかがわかるらしい。

預言の成就する時期は、聖書のあちこちに書かれている家系図を計算することでも割り出せる。

これが、アダムの息子の一人セツの家系図の一部。

聖書の創世記の5章に書いてある。
4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。
5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
6 セツは百五歳になって、エノスを生んだ。
7 セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。
8 セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。
9 エノスは九十歳になって、カイナンを生んだ。
10 エノスはカイナンを生んだ後、八百十五年生きて、男子と女子を生んだ。
11 エノスの年は合わせて九百五歳であった。そして彼は死んだ。
12 カイナンは七十歳になって、マハラレルを生んだ。
13 カイナンはマハラレルを生んだ後、八百四十年生きて、男子と女子を生んだ。
 14 カイナンの年は合わせて九百十歳であった。そして彼は死んだ。
人間の中で一番長生きした人はノアの箱舟のノアのおじいさんで969歳で洪水の日に亡くなった。

完全に近かった頃の人々は長生きしたようだ。ノアの洪水の後、神が「肉を食べても良い」と言われてから短命になったようだ。


”終わりの日はノアの日のよう”とイエスは言った。

人々は普通に生活し、ノアの忠告に耳を傾けずかえって馬鹿にし嘲笑っていた。その頃地上には雨が降っておらず、洪水が起こるなどとは信じられなかったらしい。地上は悪魔(ルシファー)の手下の堕天使が人間の女性に産ませたハーフの巨人が好き勝手に振る舞い暴虐に満ちていた。それで、新しい平和で安全な世界を人間だけで作り直す必要があった。突然の洪水で、堕天使の子たちネフィリムは全員死んだが、霊的な生き物である堕天使たちは活動出来ぬようあるところに閉じ込められた。


牧師さんたちは、聖書が2000以上の言語に翻訳されていることも勿論知っていて、現代では中世のヨーロッパのように聖書を持っているだけで処刑されることもないということも知っている。それで、そのような状態は、人々にこの永遠の命に関する良い便りが行き渡ってから終わりが来るという聖句から考えても、今その時が近づいているのではないかと推察しているのだろう。
時はあまり残っていないようだ。