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句会「すがも会」のメンバーであり、私の父とも交流が深かった。
僕が小学生のころから沢根郵便局長として知っており、佐渡最初の学校(寺子屋)で市の重要文化財「励風館」の励風館保存会会長や郵便局退職後は佐和田教育委員会長をしたりと
沢根の文化人としての功績は高い。
父とよく碁をしたり、酔うとよく握手する癖があったのを思い出す。
父の通夜の時もそうであったように、すがも会員が香典と共に弔句を捧げるのである。
まさか私が弔句を考える瞬間があろうとは思いもよらなかったこと。
私なりに金子達弥さんの面影に思いをめぐらせていた。
まさに文化的な風を起こしそれを励ます。励風館の名の由来と重なる生き方をしていたんだなと・・。
家の道向かいの高台にある城ヶ丘公園内にある励風館に登り、掃除をしながら思いをめぐらせていた。
そうだな。もう、我々が頑張らねばならない年代になってるんだなと先人の行動を偲び、雲ひとつ無い冬空の下、寂しさと同時に箒を握る手にも力が入るのであった。
金子達弥さん本当にありがとうございました。そして安らかにお眠り下さい。
「励風の空澄み渡り冬萌ゆる」 松五郎