はぐれの雑記帳

極めて個人的な日めくり雑記帳・ボケ防止用ブログです

癌入院日記 3日目 (4月9日)

2020年04月09日 | 日記

今日は三日目です
1:45 トイレ(小水を取る)
5:55 目が覚める
7:30 教授回診ではないけど、溝口先生が見えて、「月曜日にオペ」と言うことで決まったと伝えにきた。
娘に「死者の書」の購入を頼む。
7:45 矢口先生と山岸さんに濾過でウ出会い、月曜日といわれたと伝える。禁食になるので今日から点滴が飯代わりだ。
7:55 山岸さんがきて同意書を再度取りにきたあ。なくしたらしい。これから二週間ちかく、禁食です。
 9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20
  水.木.金.土.日.月.火.水.木.金.土.日
                        水だけ    おもゆ 
         安静が必要 
一切食事なし。お湯、お茶、ジュース類は飲んでもいい。固形物一切ダメと言うことになった。
ムーベンを呑まされる。2リットルも飲まされるのはつらいし、まずい。
8:30 トイレ→効果あり
9:00~30 トイレ 下剤の項か 点滴を山岸さんがつけに来た。彼はインターン。
9:40 内視鏡検査で2Fに。矢口先生が検査担当。
山岸さんは26歳の検査医、矢口さんは35歳。二人とも防衛省の任官で、自衛隊では山岸さんが2等陸尉(中尉)、矢口さんが3等陸佐(少佐)クラスになる。学生が二人来てから教えるように矢口さんが検査を始める。
内視鏡でお尻から入れて15cmぐらいのところで、癌部を見つけて確認する。これ以上進めると破れるて緊急手術になって仕舞うと言う。前回と同じところでお仕舞い。
「先生、癌ですか?」
「癌です。」と矢口さん。そして
「手術は教授が行ないます。それで先生から手術に立ち会う人に土曜日の午前十時に説明があります。大丈夫ですか?」と言われたので、「妻に連絡します」と答えた。
「手術の時は何かあったら本人を起すわけにはいかないから立ち会う人と相談して決めるので、詳しく説明しておきたいのですよ。」と言う。それで、検査終了後にヒロに電話とメールで連絡を取った。
10:10 野々垣さんが来て、呼吸訓練をしているか確認しに来た。後で、違うのを遣りますと言っていった。あかるくていい子だ。
オペラの椿姫1幕を見る。イレアナ・コトルヴァシュとドミンゴの組み合わせ。メトロポリタンの昔のもの。ヴィオレッタの歌が素晴らしい。
12:00 昼食はないので、辛いけど、これは修業だ。
12:40 針谷さんに電話をしたら、日曜日に3人くらいで見舞いに来ると言う。
この際だから仏教の事を少し勉強しようと思った。今日は瞑想はしていいない。
午後から検査;注腸検査、お尻からバリュウムを注入してレントゲンを撮るのだ。これが何とも厭らしい。
今日はとても静かだ。手術を終えた佐藤さんは個室に居て、のぞいたら眠っていた。
隣のベッドに移って来たのがとても暗い雰囲気の人だ。この部屋で4人くらい人がいるので、この部屋から出たい。
瞑想していたら眠くなってきた。
13:00 今日検査が終わると4日ほど何もないのだ。今はおなかを空にすることが大事なのだ。だからトイレに行くのが仕事みたいだ。
13:30 トイレ 白く濁ったバリュウムが出て一安心。
13:50 注腸検査の呼び出し。トイレに行く。最後の残りが出た。2Fの14号室で矢口先生が待っていた。お尻の割れたズボンに着替えて検査を受ける。お尻からバリュームを注入。空気も入れたり。体をいろいろに動かしていく。画面にかなり大きく見える。人間の体は実に巧妙にできている。腸の動きも見えた。
14:15 隣の奥さんがやって来た。もう退院なのだそうだ。胃を全摘視したと尾言う。種々後は元気がなさそうだが、かなりの年齢なのかな。71歳だという。
奥さん同士が仲良くしていたら、右奥の人が「うるさい」と怒鳴った。この人は顔つきも良くないし、もともと怖い顔つきだが、余計に気がめいるのだろう。之では治らないと思う。病気に負けているのだ。重病かどうかはわからないけど、気持ちの持ちようが悪いのだろう。私の右隣の人は東北の出で、訛りが強いので余り話したがらないそうだ。怒鳴った人は鼾をかくので迷惑千万。
15:30 トイレ(尿だけ)
16:00 手術の前の準備のことで郷原さんが説明する。3人同時に説明を受ける。その間に気付いたら天敵が空になっていた。少し気分が悪いと思ったら、天敵が空だったのだ。点滴の針の所から血が出ていた。急いで野々垣さんに連絡して、もらう。部屋に戻ってくださいと言うので部屋に戻ると彼女がいた。急いで処置してもらったが気分が悪さgしばらく治らなかった。
17:30 裕子がやって来た。
隣の人は71歳で、月曜日には退院だ。奥さんがも見えて仲良く話をしている。
私は63歳でっこの病室では一番若いようだ。裕子が本を持ってきてくれた。
18:00 トイレに行った時に、奥の怒鳴った人の奥さんに出会った。
ご主人は胆嚢の手術を2度して、2月から入院しているけれど、皮膚の接着がうまくいかないらしい。それで退院できないのだという。だかrイラついているらしいのだ。奥さんに周りがうるさいと言うと言う。頑固な性分らしい。苛立てば余計に病気に負けてしまうだろうに。
18:30 婦長さんの巡回があったので、気分が悪いと訴えた。血圧が上がっているのかもしれないので計ってほしいと頼んだ。例の人はTVをイヤホンをつけづに見ている。音が漏れている。
なかなか血圧を測りに来ない。忙しいのかな。
19:30 静かになった。TVを見ていた人は寝てしまった。今日は気分的に疲れただろう。私のお腹がなxる。これからずっとこの調子だから、これに慣れることだ。
手術の前にひげを剃らないといけないという。仕方がな。明日から4日間することがない。土曜日に手術の説明を受けるだけだ。
隣の人が言う二は、手術の準備ができて運ばれる時には麻酔がうたれて鼻から管をいれられて、さらに尿道に管を入れられたりしても、もうわからないという。あとはなるようにしかならないのだ。
19:35-53 瞑想
はじめて、15分を越える瞑想ができた。カーテンを閉めたベッドの上で胡坐座に座り、両手の拳を膝の上に載せt姿勢を伸ばして目を薄目にして1.5m先を見つめるようにして呼吸を整える。
目を閉じると瞼の上にスクリーンができるのだ。顎を引いて背筋を伸ばす。そのスクリーンに映像が浮かぶように瞑想をするのだ。私は自分の手術場面を瞑想で描き出す。ストレッチアーに乗せられて、方に麻酔薬を打たれて、その後の事を浮かべていたら、手術の時に大日如来が見守ってくれているのが浮かんで来た。
(*2008年のノートに書いてある通りに書き写しているのだが、自分の記憶では入院3日目で、このような瞑想をしていたのかと驚いた。もっと後の事のように記憶していたからだ。でも実際にはきちんとノートに書いてあるので間違いないだろう。)
これは突然の事だった。まだはっきりと映像化されてはいないのだが、種々質の白い壁の背後に大日如来の姿を見るのだ。その姿はとても大きくて手術室は如来の胸の当りなのだ。
ともかく明確な像には至らなかったけど、こんなことは初めての体験だ。
倭t氏は手術の手順を菽持って瞑想で獲得しておけば手術を畏れることはないと思って瞑想しただけなのだ。大日如来は妻の守り本尊で、私は不動明王なのだが、不動明王は現れない。ぼやっとではあるが瞑想で得られたことは凄いと思ったし、恐れることはないと確信を得た。更に強い確信にしたいと思う。まだ15hン程度で終わってしまってはダメだ。この瞑想と言う手法を知ればチベット仏教の言うところのものに少しでも近づくことができるかもしれない。
20:00-2100 消灯時間前に待合室に出かけた。ちょうどそこへ手術の説明っを一緒に受けた人がいたので話しかけた。その人は胃癌だという。毎年胃カメラの検査をしていたのに、昨年(2007)はいていなかった、今年見つかったのだという。全摘か一部の摘出になるかはまだわからないそうだ。昨日の説明のあと医師から説明があって、開いてみないとわからないということらしい。仕事は現場関係で前途られると困ると思っているようだ。歳は私と同じで昭和20年の12月生まれ、半年違いだ。
彼が言うには、仏教に関心を持っていて、広く浅く本を読んでいるという。
「輪廻とかあ前世とかはヒンズー教が言っていることで、仏陀は言っていないんですね。私は仏陀の時代の仏教が良いと思っています。阿含宗とかね」
おもわぬ話に展開した。
「癌になってね万が一死ぬようなことがあれば、その時に子供や妻を残していくかと思うと気がかりになりますよね。あれっこれ思い悩んでしまうだろうけど、突然氏が来てお仕舞いになる。」
死に際に悔いをもっていると成仏できないと思って私は霊体験で生みの父親に出会った経緯を話してから、「残りの時間に、自分が旅立つ前に、残された自分が居なくても自生していけるように話し合うこと、家族が集まり合って自分が居なくなっても、『やって行けるよ』と言われるようにコミュニケーションを取ることが大事ではないかと」と私は言った。
「自分は小さなか会社をやっていたけど、60になって、それに執着することもないと思ってやめてしまった。今は下請けになっているんだけど、初めて周りの人達に生かされているのだと思えるようになりまsでぃた。・・・会社をやっていると見栄とか外見を気にしていたけれど、今、病気になったら長男の嫁がメエールで『御父さん頑張って』って、言ってくれた。私は「あなたたちが私を思ってくれるほど、あなたたちのことを思っていただろうか』と返事したのだけれど、そうなんだよね、周りに生かされているんだよね」と少し笑いながら彼は語る。
「奥さんは健康ですか、奥さんが健康であることに感謝したことありますか」と私。
「息子や娘たちには偉そうに口で言わなきゃだめだと、言っておきながらっ自分では言ってないね・・」と、私の顔を見る。
「奥さんにありがとうと言わない人が多いんですよね。悔いを残さないためにも、奥さんが、私が生きていてよかったと思ってくれるようにしないとね。これからは近くの家族の者たちに感謝しながら、また多くの人にありがとうと言う気持ちで残りを生きて行けば、自分たちの命は意味があるんではないでしょうかね。自分に執着すると見えないのではないでしょうか」と私。
「そうだうよね、我に囚われていると、周りが見えない。家族やみんなが優しくしてくれているのがわわからないんだよね。ものに執着せず、夫婦二人で生きていければいいんだから。・・・」
私はこの人と話をしながら、仏教の教えるところの境地と言うものに近づいたように思えた。実際には書ききれないほどの話を短い間にしたのですが、9時になって互いの部屋に戻りましたが、とても偶然とは思えない出会いでした。
(2008.4.9)