手入れもしないので草ばかり、その中に伸びた蔓があったのでしょう。
一輪開いていました。
気づけばいつもの場所から今年も咲きました。
彼岸花でしょうが種類が違うのでしょう。また咲いてくれるだけで嬉しい。
季節はちゃんと進んでいます。
花野という季語がありますね
秋の草花が一面に咲き乱れる広々とした野原である・・・歳時記の解説に書いてありますが。
こんな花野にはなかなか出向けませんし、界隈に思い当たる場所もありません。
やはり高原など人の手が入ってない所なんでしょう。
しかし俳句をやっていた身にとっては体験したいものと今も思っている。
例句を読むと・・
岐れてもまた岐れても花野みち 富安風生
花野の中の踏み跡を歩いているのでしょう。
幾筋にも岐れている道を歩いているのですが、どの道を行っても花野なんですね。
道→みち、と平仮名ですが、いわゆる整備された道ではなくて踏み跡だろうと推測しました。
もう一句は・・・
膝抱けば夕べのごとき花野かな 山田みづえ
腰を下ろし膝を抱いて花野を見ているのです。
立って見ているときには感じなかった花野のあり様でしょうか。
たぶん色彩が目線で変わるのを詠んでいるのではと思いますけど・・・
膝抱けばの姿勢に、作者が自らを花野に溶かし込んでいるようにも感じますね。