一句鑑賞

糸すべらせて地唄かな

ウォーキングを再開して1週間ほど・・・今夜も歩きました。

なんか体が軽い。せっかくだから続けよう。

夏の夜の戸外の空気は微妙に変化していてグッドであります。

今夜はちょっと冷たい感じで、身も引き締まる(笑)

 

午前はお墓の管理組愛の総会へ出席。会計監査をしております。といっても年間予算10数万円で、会費と通信費と総会費用などです。

わが家のお墓があったので組合を抜けずに来ましたが、この一年で引かせていただこうかと思っている。

昔むかしは、やや山手側の土地に埋葬をしていたのが始まりでしょう。

その頃は土地の所有者と権利者もいない時代です。共有しながら空き地や山林などを利用していたのです。

明治になり廃藩置県で、空き地であろうが山地であろうが所有者が出てくるわけですが・・・墓地などは所有者不明なわけですからそのまま利用していたわけです。

近年になって村から街へとなり(我が町は100年だそうで)、行政的に土地の所有も明らかにしていかなくてはならなくなりました。ということで土地は町有地として町のものになったわけです。

そこに墓の所有者は引き続き遺骨を埋葬し続けてきたわけです。

ところがその管理にいろいろと問題が出てきます。平成の初めにお墓の管理のことで、墓地として利用しているお墓所有者と町が話し合って、管理組合を作ってくれないか・・・というスタートだったのです。

条件としてはすこぶる簡単なもので、そのまま墓の使用は続けてもよい。墓地の草刈りなどは町で行うとかの取り決めでスタートしたのです。

昨今は霊園へ移骨しての墓終いや、連絡が取れなくなったお墓もあります。組合設立時でも所有者不明の無縁墓がいくつもあったようです。

それでも墓地に墓を作りたいという人の問い合わせもあったりするのですね・・・組合は霊園的なものではありませんので、埋葬というかお墓の建立は許可する権限もありませんので、すべてお断りするという規則になっております。霊園などはやはり幾らかの費用も掛かりますし、また住まいから近いところにお墓を持ちたいという人も居られるようですね。

今は20人(家)程の墓地となっておりますが、自分たちの代まではできるけど・・・というのがほとんどですね。

今後は無縁墓については町へ返還して整備してくれるのがいいのですが。

ところでわが家のご先祖はこの墓地にはいません。昭和40年代にお寺が納骨堂を作るということでそちらへ移骨しておりまして、墓石も畳んでおります。その後、私の代で納骨堂を抜きまして霊園へと移しました。

なんで?お墓もないのに組合の役を・・・何故か私も分からないのですが(-_-;)

ただ父も母もその墓地の場所にはそれぞれに思うところがあったのでしょう。だから組合に残っていたのかもとそう思っております。

で組合を抜けることなく来ましたが、他の役員さんたちも私の処遇を考えてくれているようです。なんら大変な仕事でもないので構わないのですが・・・こんなん普通ではありえないことです。

子供の時分は墓掃除などしました、お盆のお迎えにも提灯を下げて行きました、そんな記憶もあります。先祖が眠っていた所と思えば別の感慨も湧きますからね。

今年度で失礼するつもりです。

時代でしょうか、何もかもが少しずつ変わっていきます。

断捨離はときどき休み時間を長くとって続けています。

母の使っていた三弦は、ちょっと手入れをして弟に渡そうかと、そんな考えが湧くと・・・琴三弦のお店が中央区赤坂にありますが、そちらに相談してみよう・・・明日、電話を。

母が80才のころか、三味線はもう弾かないの?と聴くと・・・皮も破れているし、今は張り替えると猫じゃなくて犬の皮が多いとか・・・などと言ってたことを思い出したりします。

手なりで地唄を謡っていたころの姿は美しかったです。

 

あぁ、引き受けたものの重みをひしと感じています。私の代で終わらせます。

 

すべらせて糸の軽みも夏座敷

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