一句鑑賞

恋の浦

福岡県、今は福津市となっております。

有名な宮地嶽神社がありまして、昨今は嵐の光の道のCMで盛り上がっておるそうです。

その光の道は浜へまっすぐに伸びています・・・その浜は津屋崎といいまして遠浅の海水浴場として昔から人気があり、シーズンは今もとても多いのではないかと思ってます。

私の町、粕屋郡宇美町からの当時の交通手段は・・・・

国鉄宇美駅を香椎線で出発しまして、東区の中心の香椎駅で乗り換え?否、下車して駅前から200mほどのところにあります、西鉄電車に乗り継ぎます。

単線で、始発が今の福岡市地下鉄貝塚駅を起点として・・・なんとまあ、福津市の津屋崎が終点でした。けっこう距離あります。現在の西鉄津屋崎線は、新宮だった?でストップで古賀市津屋崎方面は廃線になってます。

で津屋崎で下車すれば徒歩数分で、海水浴が出来ましたね。父が宗像の出身で近いのでよく連れて行ってもらったのです。

 

今日の話題は・・・津屋崎浜から勝浦ほうめんへの川にかかる橋を渡り、小高く狭い範囲の山があります・・・地図でお確かめをといっても(笑)

その辺りの浜は津屋崎ではなくて・・・恋の浦・・・と呼ばれております。

恋はさて置いて、その小高い山に碑が建てられています。あの日本海海戦で指揮をされた東郷平八郎の碑ですね。その下には記念館がありまして・・・数十年前の記憶で今は分かりませんが・・・戦艦三笠の数十分の一?のレプリカというのか、大きなものが展示されていました。

その外に1軒のお店がありまして、そこの女性経営者さんとの会話です・・・当時70代後半か80代?とても品がある方でした。私は初めていった場所で分からないことはなんでも訊くたちですから(^_^;) 凄いですね、こんな所があるとは知りませんでしたとかぐらいしか話せんません。いろいろと話が進み、日本海海戦に負けていたら北海道はロシアのものだったでしょうとか聞かされて、目を開かせてくれましたね。

それからバルチック艦隊との海戦のようすは、遠雷のごとき号砲がこの恋の浦あたりまで届いていたらしいと聞かされました。なるほどなと頷くだけの私でした。

 

恋の浦、ちょっとほろ苦い記憶もありますが、思い出さないようにしております<(_ _)>

父と最後に行った時は、中学生?だったか海に入り潜って岩に張りついたアワビを取ろうとしても道具がないので岩から離れません(笑)ムラサキウニは棘がありますし(笑)浜に戻ると漁師さんかな?取れたか?と言われて何にもというと、アワビかなにかをくれた記憶があります。漁師さんは笑顔だったのは覚えています。

今の子供たち、管理はされていますが・・・どうでしょう?冒険はできておりますでしょうか?冒険は自己を知ることに繋がり、未知へチャレンジする心にも繋がると思うのですが。

昨今の教育にはちょっと違和感を感じております。

今夜はなんか変?実は歳時記の冬の海を読んでいたら・・・こんな連想をしておりましたということですね(笑)

冬の海、冬の波、遠浅で波高は低くても浜砂を噛むように繰り返し繰り返し打ち寄せます。

そんな恋の浦です、いつか再訪しないと(^_^;)

噛むごとく退いて噛むごと冬の波

おやすみなさい

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