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【8.14】追悼のつどい 亡くなられた被害者に思いを馳せて(日本軍「慰安婦」メモリアル・デー2024)

2024-08-16 02:08:28 | イベント報告
みなさん、こんばんは。
地震や、豪雨、台風と、災害が続いていますね。
みなさんのご無事を、祈りながら、イベントのご報告です。

【8.14】追悼のつどい 亡くなられた被害者に思いを馳せて(日本軍「慰安婦」メモリアル・デー2024)
https://wam-peace.org/news/10154

2024年8月14日。
1991年に、韓国の金学順さんが日本軍「慰安婦」制度の被害者として名乗り出たこの日から、33年の年月を数えました。

2012年に台湾で開かれた日本軍「慰安婦」問題解決アジア連帯会議で、日本軍「慰安婦」メモリアル・デーと定められたこの日、アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam)では、2017年から、訃報が届いた女性たちに、真っ白なお花を捧げる「追悼のつどい」を重ねてこられました。

今回、この追悼のつどいで、2023年に亡くなった海南島のあぽたち、王志鳳さん、李美金さんへの、追悼メッセージを共有する機会をいただきました。以下、ご報告します。

【追悼メッセージ】

王志鳳さん
2023年8月29日逝去
1925年生まれ、数えで99歳

16歳のときに、お米を借りにいった帰りに旧日本軍に遭遇し、慰安所に連行されました。昼間は、塹壕掘りなど強制労働を、夜は性的暴行を受け、抵抗を試みようとすると殴られ、その傷跡と心に受けた傷は、生涯消えなかったといいます。
(人民網日本語版より)

李美金さん
2023年11月9日逝去
1926年生まれ、数えで98歳

1941年、旧日本軍に村を襲撃されたときに、身柄を拘束され、昼間は強制労働、夜は性的暴行を受けました。抵抗しようとすると殴られ、アザだらけになってしまいました。ようやく、その地獄から逃れるチャンスを見つけたのは、10日以上経ってからでした。それ以来、暗闇と当時の記憶が恐ろしいといいます。
(新华报业网より)

お2人は、海南島北部の澄邁で生まれ育ち、被害後もずっと、この地でお住まいでした。

そして、わたしたちがお会いした被害女性たち(わたしたちは、親しみを込めて、あぽとお呼びしています)のなかで、最後のお2人でした。

きょうは、はじめてお2人にお会いした日のことを、お話ししたいと思います。

それは、10年ほど前、戦後70年の年末、2015年の12月のことでした。

ちょうど、冬休みを利用して海南島に入り、海口で荷を解きながら、翌日訪ねようとしていた、林愛蘭さんが亡くなったと、報せを聞きました。そして、ほどなくして、日韓合意が宣言されたと、報道で知りました。

わたしたちは、ことばを失いました。

お会いして、なんと言ったらいいのか、どんな顔をして、お会いしたらいいのか…。わからないまま、言葉少なに、お宅に向かったのを、よく覚えています。

お2人にとって、わたしたちは、戦争が終わってはじめて、お会いした日本人でした。

わたしたちが訪ねたことで、お2人は、当時のことを、思い出されたようでした。ただ一言、あのときは、本当につらかったよ…と言葉を詰まらせた姿が、忘れられません。

その後は、リー語のわかる友人をとおして、なごやかに会話してくださり、最後は、笑顔で写真を撮って、にこにこ送り出してくださいました。

なにかすこしでも、できることがあればと、訪ねたわたしたちでしたが、あべこべに、わたしたちが元気をいただき、励まされて帰ってくる、そんな出会いでした。

その後、わたしは海南島を訪ねることができず、ほかのメンバーも、最後にお会いできたのは、2019年のことでした。

いまとなっては、もうすこし、なにかできることがなかったかと、悔やまれてなりません。

いま、戦禍は繰り返され、性被害に遭われるかたも、絶えまなく、増えつづけています。

この世界を、いまお2人は、どんな思いで、天国から、ご覧になっているか…と思うと、胸が痛みます。

いま、お2人と同じ思いをされるかたがたのために、いま、わたしたちにできることを、諦めずに続けることが、あのとき、折れそうだったわたしたちの心を、立ち直らせてくれたお2人への、何よりの恩返しになると、信じます。

きょうここで、皆さまとともに、この思いを新たにできることに、心から感謝です。
本日は、どうもありがとうございました。

ハイナンNET N.I.

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