魅了されたもの・・・

戦争遺跡とか
航空機とか
廃とか

**記事のタイトルSUFFIXについて**

AやBのアルファベットは訪問日が異なる場合につけておりAがBより古い訪問日となっております。 1や2の数字はシリーズの記事になっておりますのでご覧になる時の参考になさって下さい。 何度も訪問した所はシリーズとしてカテゴリーに 纏め閲覧をし易くしました。

東京湾要塞 大房岬砲台A1

2022-02-19 06:37:34 | 大房岬砲台ser.
東京湾要塞 大房岬砲台シリーズ
 A5 ここ 2012年撮影(2022年記事
 A4 ここ 2012年撮影(2022年記事
 A3 ここ 2012年撮影(2022年記事
 A2 ここ 2012年撮影(2022年記事
 A1 ここ 2012年撮影(2022年記事
 C7 ここ 2016年撮影
 C6 ここ 2016年撮影
 C5 ここ 2016年撮影
 C4 ここ 2016年撮影
 C3 ここ 2016年撮影
 C2 ここ 2016年撮影
 C1 ここ 2016年撮影
 B6 ここ 2014年撮影
 B5 ここ 2014年撮影 
 B4 ここ 2014年撮影
 B3 ここ 2014年撮影
 B2 ここ 2014年撮影
 B1 ここ 2014年撮影

*補足* 現地へ訪問(撮影)した順は A→B→Cです。


帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。
巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所
発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等を地下に鉄筋コンクリート造りで完成させ、昭和
20年の終戦まで横須賀重砲連隊の兵士が守った。
目的は東京湾に侵入する敵艦を神奈川県剣崎砲台と協力して防御すると共に館山港を
掩護する事であった。















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廃校 粟野中学校B

2022-02-18 11:40:16 | 廃学校
廃校 粟野中学校A(2015年撮影)は ここ

1949年に建築された桁行53メートルの木造二階建ての中学校校舎で、桟瓦葺きの
切妻屋根を載せ、外壁は下見板張り、木製桟のガラス窓がはめられ、建築に際しては
粟野財産区の良材をよく吟味し合せ柱とした事から、現在でも狂いの少ない姿で残され
ています。
2003年、56年間の歴史を閉じて閉校となりました。林業が豊かな時代、その産地
として栄えた旧粟野町の歴史を物語る建物である。




 校舎前面








 校舎後方





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わたらせ渓谷鉄道 廃線部2(足尾本山駅)

2022-02-17 10:47:15 | 廃線
わたらせ渓谷鉄道 廃線部1は ここ

明治時代の初めまで、産出した銅や鉱山で使用する材料の運搬は馬や
牛に頼っていましたが、生産量の増加によって運びきれなくなり馬車
鉄道による運搬を始めましたが、さらに多くの荷物を運べるよう
桐生から足尾まで鉄道を建設することになりました。
1912年12月桐生から延伸してきた足尾鉄道が、足尾駅まで開通
しました。足尾鉄道は国の重要路線であることから1918年、国が
買い上げて鉄道院の足尾線となりました。
戦後、ディーゼル機関車に変わって近代化されましたが、1973年に
足尾銅山が閉山されると旅客・貨物ともに輸送量が大きく減少し
1998年6月間藤~足尾本山駅間の鉄道事業免許が失効し、間藤駅
から足尾本山駅まで伸びていた貨物線を廃線とした。

















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わたらせ渓谷鉄道 廃線部1

2022-02-16 09:42:48 | 廃線
わたらせ渓谷鉄道 廃線部2(足尾本山駅) ここ

明治時代の初めまで、産出した銅や鉱山で使用する材料の運搬は馬や
牛に頼っていましたが、生産量の増加によって運びきれなくなり馬車
鉄道による運搬を始めましたが、さらに多くの荷物を運べるよう
桐生から足尾まで鉄道を建設することになりました。
1912年12月桐生から延伸してきた足尾鉄道が、足尾駅まで開通
しました。足尾鉄道は国の重要路線であることから1918年、国が
買い上げて鉄道院の足尾線となりました。
戦後、ディーゼル機関車に変わって近代化されましたが、1973年に
足尾銅山が閉山されると旅客・貨物ともに輸送量が大きく減少し
1998年6月間藤~足尾本山駅間の鉄道事業免許が失効し、間藤駅
から足尾本山駅まで伸びていた貨物線を廃線とした。













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鹿島鉄道線C 石岡南台駅

2022-02-15 02:34:25 | 鹿島鉄道線ser.
鹿島鉄道線シリーズ
 石岡南台駅  ここ 2021年撮影
 鉾田駅    ここ 2021年撮影
 小川高校下駅 ここ 2021年撮影 
 桃浦駅    ここ 2021年撮影
 鉾田駅    ここ 2019年撮影
 1面1線駅  ここ 2007年撮影
 榎本・桃浦駅 ここ 2007年撮影
 玉里駅    ここ 2007年撮影
 石岡南台駅2 ここ 2007年撮影
 石岡南台駅1 ここ 2007年撮影
 
鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。

1921年10月 行方鉄道株式会社設立
1922年9月  称号を鹿島参宮鉄道に変更
1924年6月  石岡-常陸小川間営業開始
1926年8月  常陸小川-浜間を延伸
1928年2月  浜-玉造町間を延伸
1929年5月  鉾田までの全線開通
1965年    常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる
1979年4月  自動車輸送の発展による経営悪化の為
         関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる

葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用があったが
営業収入の基幹であるジェット燃料輸送が2002年3月で廃止となり営業収支が更に悪化
した。親会社の関東鉄道、沿線の自治体が財政支援してきたが、2005年開通のつくばエ
クスプレス線の開業により、関東鉄道は常総線や高速バスの利用者が大幅に減少し、減収と
なった事を理由に2007年年以降の経営支援を行わない方針を示した。これを受け、親会
社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、2007年3月末限りで、鹿島鉄道全線の
営業を廃止、83年の歴史に幕を閉じた。








 2022年時点でバス専用道路へとなった。





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鹿島鉄道線C 鉾田駅

2022-02-14 09:26:53 | 鹿島鉄道線ser.
鹿島鉄道線シリーズ
 石岡南台駅  ここ 2021年撮影
 鉾田駅    ここ 2021年撮影
 小川高校下駅 ここ 2021年撮影 
 桃浦駅    ここ 2021年撮影
 鉾田駅    ここ 2019年撮影
 1面1線駅  ここ 2007年撮影
 榎本・桃浦駅 ここ 2007年撮影
 玉里駅    ここ 2007年撮影
 石岡南台駅2 ここ 2007年撮影
 石岡南台駅1 ここ 2007年撮影
 
鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。

1921年10月 行方鉄道株式会社設立
1922年9月  称号を鹿島参宮鉄道に変更
1924年6月  石岡-常陸小川間営業開始
1926年8月  常陸小川-浜間を延伸
1928年2月  浜-玉造町間を延伸
1929年5月  鉾田までの全線開通
1965年    常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる
1979年4月  自動車輸送の発展による経営悪化の為
         関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる

葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用があったが
営業収入の基幹であるジェット燃料輸送が2002年3月で廃止となり営業収支が更に悪化
した。親会社の関東鉄道、沿線の自治体が財政支援してきたが、2005年開通のつくばエ
クスプレス線の開業により、関東鉄道は常総線や高速バスの利用者が大幅に減少し、減収と
なった事を理由に2007年年以降の経営支援を行わない方針を示した。これを受け、親会
社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、2007年3月末限りで、鹿島鉄道全線の
営業を廃止、83年の歴史に幕を閉じた。












 石岡駅方面を見る





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片島魚雷発射試験場D 発射場

2022-02-13 04:57:09 | 片島魚雷発射試験場ser.
片島魚雷発射試験場シリーズ
 発射場        ここ 2018年撮影       
 発射場橋       ここ 2018年撮影
 新観測所       ここ 2018年撮影
 C          ここ 2017年UL 
 発射場関係      ここ 2016年UL
 建屋         ここ 2016年UL
 本部室内2      ここ 2016年UL
 本部室内1      ここ 2016年UL
 本部及び隣接する遺構 ここ 2016年UL
 観測所        ここ 2016年UL
 新観測所       ここ 2016年UL
 B          ここ 2016年UL
 A2         ここ 2015年UL
 A1         ここ 2015年UL

長崎県大村湾に面した川棚町。ここは1918年に開設された魚雷発射試験場をはじめ
海軍工廠、魚雷艇訓練所など太平洋戦争当時、旧海軍の重要な軍事施設がありました。
魚雷発射試験場では佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が
行われた。すぐそばにある大きな建物(本部)の中で、魚雷の最終検査や調整などを
していたのではないかと言われています。また当時魚雷発射の状況を記録・確認するための
観測所跡も残っており、ここで合格となった魚雷のみ船で佐世保鎮守府に送られたそうです。







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片島魚雷発射試験場D 発射場橋

2022-02-12 08:56:07 | 片島魚雷発射試験場ser.
片島魚雷発射試験場シリーズ
 発射場        ここ 2018年撮影       
 発射場橋       ここ 2018年撮影
 新観測所       ここ 2018年撮影
 C          ここ 2017年UL 
 発射場関係      ここ 2016年UL
 建屋         ここ 2016年UL
 本部室内2      ここ 2016年UL
 本部室内1      ここ 2016年UL
 本部及び隣接する遺構 ここ 2016年UL
 観測所        ここ 2016年UL
 新観測所       ここ 2016年UL
 B          ここ 2016年UL
 A2         ここ 2015年UL
 A1         ここ 2015年UL

佐世保鎮守府が開庁されて間もなく、海軍工廠が佐世保湾の北岸に開設された。
この工場で製造される魚雷を実地に発射試験するために魚形水雷発射試験場が
設置された。太平洋戦争勃発後の1942年川棚に分工廠が設置された事に伴い
魚雷発射場の施設がさらに拡張され、その際に片島は海峡が埋め立てられて
陸続きとなった。

この動画は2018年9月に撮影したものです。


片島魚雷発射試験場D 新観測所

2022-02-11 07:26:24 | 片島魚雷発射試験場ser.
片島魚雷発射試験場シリーズ
 発射場        ここ 2018年撮影       
 発射場橋       ここ 2018年撮影
 新観測所       ここ 2018年撮影
 C          ここ 2017年UL 
 発射場関係      ここ 2016年UL
 建屋         ここ 2016年UL
 本部室内2      ここ 2016年UL
 本部室内1      ここ 2016年UL
 本部及び隣接する遺構 ここ 2016年UL
 観測所        ここ 2016年UL
 新観測所       ここ 2016年UL
 B          ここ 2016年UL
 A2         ここ 2015年UL
 A1         ここ 2015年UL

長崎県大村湾に面した川棚町。ここは1918年に開設された魚雷発射試験場をはじめ
海軍工廠、魚雷艇訓練所など太平洋戦争当時、旧海軍の重要な軍事施設がありました。
魚雷発射試験場では佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が
行われた。すぐそばにある大きな建物(本部)の中で、魚雷の最終検査や調整などを
していたのではないかと言われています。また当時魚雷発射の状況を記録・確認するための
観測所跡も残っており、ここで合格となった魚雷のみ船で佐世保鎮守府に送られたそうです。

この動画は2018年9月に撮影したものです。


鹿島鉄道線C 小川高校下駅

2022-02-10 11:22:02 | 鹿島鉄道線ser.
鹿島鉄道線シリーズ
 石岡南台駅  ここ 2021年撮影
 鉾田駅    ここ 2021年撮影
 小川高校下駅 ここ 2021年撮影 
 桃浦駅    ここ 2021年撮影
 鉾田駅    ここ 2019年撮影
 1面1線駅  ここ 2007年撮影
 榎本・桃浦駅 ここ 2007年撮影
 玉里駅    ここ 2007年撮影
 石岡南台駅2 ここ 2007年撮影
 石岡南台駅1 ここ 2007年撮影

 前回小川高校下駅へ訪問した時の写真は「1面1線駅」に掲載しています。

鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。

1921年10月 行方鉄道株式会社設立
1922年9月  称号を鹿島参宮鉄道に変更
1924年6月  石岡-常陸小川間営業開始
1926年8月  常陸小川-浜間を延伸
1928年2月  浜-玉造町間を延伸
1929年5月  鉾田までの全線開通
1965年    常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる
1979年4月  自動車輸送の発展による経営悪化の為
         関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる

葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用があったが
営業収入の基幹であるジェット燃料輸送が2002年3月で廃止となり営業収支が更に悪化
した。親会社の関東鉄道、沿線の自治体が財政支援してきたが、2005年開通のつくばエ
クスプレス線の開業により、関東鉄道は常総線や高速バスの利用者が大幅に減少し、減収と
なった事を理由に2007年年以降の経営支援を行わない方針を示した。これを受け、親会
社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、2007年3月末限りで、鹿島鉄道全線の
営業を廃止、83年の歴史に幕を閉じた。



















アクセスカウンター