牧之原台地に大日本帝国海軍の飛行場建設が計画されたのは昭和14年。第四次海軍軍備
充実計画により海軍航空隊を14隊から75隊に増やすことを決定し、牧之原の地も候補
地の一つとして挙げられた。
昭和17年4月1日、長さ1,500メートル・幅80メートルの滑走路と共に海軍第1
3連合航空隊「大井海軍航空隊」が開隊。
予科練習生などの飛行訓練、偵察要員を育成する目的の練習航空隊だった。
飛行科・整備課・工作科・会計科・主計科・内務科・運用科・通信科等から組織され、多
い時には2,500人から3,000人の隊員がいた。
**許可を得て撮影しています**
充実計画により海軍航空隊を14隊から75隊に増やすことを決定し、牧之原の地も候補
地の一つとして挙げられた。
昭和17年4月1日、長さ1,500メートル・幅80メートルの滑走路と共に海軍第1
3連合航空隊「大井海軍航空隊」が開隊。
予科練習生などの飛行訓練、偵察要員を育成する目的の練習航空隊だった。
飛行科・整備課・工作科・会計科・主計科・内務科・運用科・通信科等から組織され、多
い時には2,500人から3,000人の隊員がいた。
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