この建物は明治29年から陸軍が呉(広島湾)の防護の為に砲台を整備した際
高烏砲台の兵舎として建てられた建物です。高烏砲台は、軍港として軍事的に
重要な施設でもあったので、後に海軍に移管されました。
昭和20年8月の終戦後、兵舎は荒廃しましたが石造りの外壁は現在も残存し
ていますが、この兵舎についての記録は残されておらず、詳細は不明です。
高烏砲台の兵舎として建てられた建物です。高烏砲台は、軍港として軍事的に
重要な施設でもあったので、後に海軍に移管されました。
昭和20年8月の終戦後、兵舎は荒廃しましたが石造りの外壁は現在も残存し
ていますが、この兵舎についての記録は残されておらず、詳細は不明です。
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