前話「守護者の魂」で書き忘れましたが、№48も兄弟だったということがここで判明しましたね。
とにかく兄弟の多い「鋼の錬金術師」ですが、ここにも兄弟が。
「兄弟」のさまざまな絆のカタチを通して、エルリック兄弟を浮き彫りにしていくわけですが、№48は「兄弟ともに鎧の体」、しかも生身の体を取り戻したとしても、既に処刑されたはずの死刑囚以外のものにはなれない。そんな№48をも、エドは「人間」として認める―いや、扱わずにはいられないんですね。
エドから「人間扱い」された48弟が、もはや「№48」には戻れない、と思って、「人間」としてできる唯一の選択、「この世からの消滅」を選んだ、という皮肉。
48兄が冷静に言った、
「答えようのないことなど、この世にいくらでもある」
という言葉は、珍しい「大人」のセリフで、強く印象に残りました。
エドは大人びたところもあるけれど、それを受け入れられない程度には子どもですね。
世界は不条理に満ち、努力は必ずしも報われない。
障害、難病、事故や災害、不運や不幸。そういうものに出会うと人間は「どうして」と問わずにはいられないけれど、本当に答えようのないことはいくらでもあるわけで、このあたりの価値観が、物語の終盤で「等価交換の法則」を「子どもの理屈」と言わせたのでしょう。
ストーリーに話を戻します。
スカーとラストが因縁の出会いを果たし、ショウ・タッカーまで登場。
「ホムンクルス」の存在を知るアル、いよいよ賢者の石へ肉薄するエド。
賢者の石の未完成品を前に、憑かれたような表情で、
「俺は…、俺は、並みの錬金術師じゃないぜ」
というエドの顔が怖い!
傍らでほくそえむタッカーも思いっきしブキミくんです。ひえ~~
この激しい盛り上がりと広げた風呂敷を、いったいどうやって収束させるのか?
閑話休題。
エドの大暴れのせいで、グリードまで復活しましたが。
ここはちょっとわかりにくかったと思いますね。というか演出のコンテクスト、息長すぎ。
エドの錬成でグリードの封印にヒビが入ったのが19話で、グリードが起き上がるのは21話なんだもん。
最初に見たときは因果関係が頭に入ってませんでしたよ!
とにかく兄弟の多い「鋼の錬金術師」ですが、ここにも兄弟が。
「兄弟」のさまざまな絆のカタチを通して、エルリック兄弟を浮き彫りにしていくわけですが、№48は「兄弟ともに鎧の体」、しかも生身の体を取り戻したとしても、既に処刑されたはずの死刑囚以外のものにはなれない。そんな№48をも、エドは「人間」として認める―いや、扱わずにはいられないんですね。
エドから「人間扱い」された48弟が、もはや「№48」には戻れない、と思って、「人間」としてできる唯一の選択、「この世からの消滅」を選んだ、という皮肉。
48兄が冷静に言った、
「答えようのないことなど、この世にいくらでもある」
という言葉は、珍しい「大人」のセリフで、強く印象に残りました。
エドは大人びたところもあるけれど、それを受け入れられない程度には子どもですね。
世界は不条理に満ち、努力は必ずしも報われない。
障害、難病、事故や災害、不運や不幸。そういうものに出会うと人間は「どうして」と問わずにはいられないけれど、本当に答えようのないことはいくらでもあるわけで、このあたりの価値観が、物語の終盤で「等価交換の法則」を「子どもの理屈」と言わせたのでしょう。
ストーリーに話を戻します。
スカーとラストが因縁の出会いを果たし、ショウ・タッカーまで登場。
「ホムンクルス」の存在を知るアル、いよいよ賢者の石へ肉薄するエド。
賢者の石の未完成品を前に、憑かれたような表情で、
「俺は…、俺は、並みの錬金術師じゃないぜ」
というエドの顔が怖い!
傍らでほくそえむタッカーも思いっきしブキミくんです。ひえ~~
この激しい盛り上がりと広げた風呂敷を、いったいどうやって収束させるのか?
閑話休題。
エドの大暴れのせいで、グリードまで復活しましたが。
ここはちょっとわかりにくかったと思いますね。というか演出のコンテクスト、息長すぎ。
エドの錬成でグリードの封印にヒビが入ったのが19話で、グリードが起き上がるのは21話なんだもん。
最初に見たときは因果関係が頭に入ってませんでしたよ!
私にとっては8話と同じくらいの衝撃でした。
8話と21話を経て、アニメ鋼にがーーーーっとのめりこんだ感じです。
48弟の自殺を体全部を使って止めようとするエドが切なくてー。
「人殺しはいけない」という当然の倫理観を何の疑問も持たずに信じて押し通したことによって、もっと深く人を傷付け、人を死に追いやる正論を吐いてしまうほど自分は子供だったのだ。とエドはここで初めて自覚することになるんですよね。
ニーナの時、エドが大人(軍部)に対して取った行動がここでエドに返ってくる。
スタッフは鬼だなー。
そんなに無理矢理引きちぎるように大人にさせないでよー。と思います今でも。
過去のアニメでもひどい目にあっているキャラはたくさんいると思うんですけど、
ここまで精神的な〝負〟を負わされたうえでそれをはね返すように〝前向きに〟成長した少年をきちんと描けた例って私は思い当たりません。
(心当たりがあれば誰か教えてください。見たいぞ。)
スタッフ&キャスト、ハラショー!っていつも思います。
今ではエドの髪が風に揺れるだけで、朴さんの声を聞くだけでうるうるしてしまう私の原点は、この話が起点なんだと思います。
あーん、久しぶりに来てまた長く書いてしまった私をお許しください
尾崎豊の歌じゃありませんが。
15歳にしかありえないような心の揺れの上に、子ども離れした知識や技量がのっかってる。
アニメ版のスタッフは鬼だっつーのは同感。でも鬼だからこそ、あの8話とか、コレとか、グリードとの対戦とか、あの辺が描けたんだろうな。
できれば、大佐にも、29歳という微妙な年齢に見合った行動をお願いしたい……。
大佐がもうちょっとなー、行動に整合性とれてればなー、………
あ、朴さんといえば、昨日子どもが見てた何とかペインという番組でお声を聞きました。
声を聞くだけでときめいてしまった(笑)
原作ファンの私ですが、このあたりのアニメは原作を超えた!と思って見てました。展開にドキドキしたよ…!
>答えようのないことなど、この世にいくらでもある
重い台詞ですよね~。まだ世界を真っ直ぐに信じている子供に対しては尚更に。
ところで、こちらを読む少し前に、別ブログにて「エドは右腕を取り戻せるか」という記事を読みまして。「アルの魂と引き換えなのに、取り戻してもいいの?」という問いに、うーん、と考えこんでいました。私はエドもまた、アルと同じに、原作では身体を取り戻すと思いたくて…。
その時、こちらの
>世界は不条理に満ち、努力は必ずしも報われない。
という一文を読んで、ぱかっと目の前が開きました。
不幸と同じに幸いだって理由無しに来るじゃん?なら理由なんか無くたってエドは腕を取りもどしていいじゃん!と。
あー、何だかすんごい曲解&自己満足なんですが(苦笑)。
それで、そういう内容の記事を書きまして(5/25付け)、上記一文を引用の上こちらへ文中リンク張らせていただきました。事後となりますがご報告いたします。
エドもアルも幸せな、ハッピーエンドとなりますように!
であれば、きっと最後には笑って終われると信じてます。
(「門」あるいは「扉」を原作でどう謎解きするか、興味津々で見てます。)
答えようのないことって、ほんとにこの世にいくらでもありますよね。
理由なしに幸いが訪れることもある、っていうのもホントですよね(宝くじなみの確率だとしてもね)。
禍福はあざなえる縄のごとし。
「禍」を背負ってきた彼らに、どうか大いなる「福」の訪れんことを。