なぜ、着物のことを思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、
あなたがたに、それ以上によくしてくださらないはずがあろうか。
ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、明日のことを思いわずらうな。
明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
(マタイ伝6章25-34)
イエスさまは、こうおっしゃっておられるというのに
私はと言えば、明日から娘のところへ行くのに
どんな格好をしていったらよいかと考えるのがめんどうくさくて
旅の着替えの準備もせずにぐだぐだしております。
その横では、仕事に疲れた夫が、昼寝をしております。
私は、我が家に咲いてくれたお花を眺めて癒されております。