私は、怒ることを禁じられて育ちました。
両親のこころには、それぞれの生い立ちからくる
激しい怒りが、たくさん溜まっていたと思うのです。
それらを必死に抑えて、日々を過ごしていたからこそ
子どもの怒りを許すことができなかったのです。
とくに両親の世代の人たちは、
親を恨むことが許されませんでしたから。
自分のこころに、怒りがあるとは、
決して認めることができませんでした。
だからこそ、幼い私の自己主張を
わがままと言っては、厳しく躾け
私が怒りを表そうものなら
両親は、感情的になって、叱責しました。
本人たちは、決して気づいておりませんが、
祖父母も両親も父の妹たちも、大人たちは
けっこう自由に怒りの感情を表現しあっておりました。
怒りを出すのは、よくないこととして
躾けられた私は、大人たちの中に、幼さを認め
自分は、もっと立派な大人になろうと思いました。
そして、私は、大人になっても
怒ることのできない人間になりました。
己の中に怒りの感情を持つことを
許すことができなかったとしたら
他者を嫌うか、己を嫌うしか生きる道はありません。
自分をごまかして、怒りを隠しておれば
他者を愛することができません。
己を嫌えば
生きることは、ちっとも楽しくありません。
どんな感情でも
マイナスの感情でも
許されてこそ
認められてこそ
コントロールできるものではないでしょうか。
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