令和元年6月1日(土)
2019年 春 名鉄のハイキング
「②蓮如上人ゆかりの郷 碧南花しょうぶまつりと白醤油を造りつづけて200年 ヤマシン酒造」の続きです。
ピンクの花しょうぶを見つけました^-^
ピンクかな?
(-ω-;)ウーン
名前の表示があったのですが、忘れてしまいましたw
噴水のある方へ行ってみます。
花しょうぶが手の届くところにあったので、下から撮ってみました。
結構黄色いところがあるのですね。
青いのも黄色い。
だいぶ暑くて茹でダコになりそうなので、そろそろ次へ行きます。
コースは、道路の方へ一旦戻ります。
(○'ω'○)ん?
如光堂がありました。
蓮如さんのお弟子さんだったと思います。
ちょと見に行きます。
如光さん
油ヶ渕より出現したとありますね。
昔はこの辺りも海沿いだったようです。
今でも油ヶ渕は、淡水と海水が混じるところです。
その海岸に、幼い子供が緑の藻屑の中、漂着した。
その少年が、蓮如上人の弟子になり、三河地方に浄土真宗を広めたそうです。
(-ω-;)ウーン
神話の大国主命と少彦名命のお話に似ているようなw
堂内には、如光上人が安置されていました。
お寺さんの方へ行きます。
(○'ω'○)ん?
ここにも花しょうぶ
階段を上がると、本堂が見えてきました。
「応仁寺」です。
応仁の乱の混乱を避けるため、京都からこの地に来られた蓮如上人。
ここは元々如光上人の実家だったそうです。
三河の地で三年ほどの布教をなされた蓮如上人が、
松光山・応仁寺をあとに京都へ戻られる時、
「またいつの日にか戻ってくるだろう…」と言い残された。
以来この寺は住職を置かずに、蓮如上人が戻られるその日を待ち続け、
現在も地元の門徒衆によって大切に護持されている、無住職・無檀家のお寺なんだそうです。
油ヶ渕の名の由来。
「人々は、この池に龍燈を捧げて蓮如上人を守り、
その龍燈のもとに人々は集まって、応仁寺は念仏読経のたえることがなかったので、
ここを油淵と呼ぶようになった。」(油ヶ渕遊園石碑より)
境内の一画にあったこの建物。
「黒ぼとけ堂」?
一体何だろう。
見に行ってみます。
∑(゚∇゚|||)はぁうっ!
みい・?
不気味な感じのものが安置されていました。
この像を見た子供が、泣き出したという言い伝えがあるこの黒ぼとけさん。
農民の一人が造られたそうです。
二一の松?
本堂の中へ行ってみることにします。
長くなりましたので、続きは又にします。