赤ずきんのお散歩ブログ

参加したウォーキング、写真付きでご紹介します。よろしくお願いします。@^-^@ノ

❸蓮如上人ゆかりの郷 碧南花しょうぶまつりと白醤油を造りつづけて200年 ヤマシン酒造

2019年06月04日 10時16分20秒 | 名鉄ウォーキング

令和元年6月1日(土)

2019年 春 名鉄のハイキング

②蓮如上人ゆかりの郷 碧南花しょうぶまつりと白醤油を造りつづけて200年 ヤマシン酒造」の続きです。

 

 

ピンクの花しょうぶを見つけました^-^

 

ピンクかな?

 

(-ω-;)ウーン

名前の表示があったのですが、忘れてしまいましたw

 

噴水のある方へ行ってみます。

 

花しょうぶが手の届くところにあったので、下から撮ってみました。

結構黄色いところがあるのですね。

 

青いのも黄色い。

 

だいぶ暑くて茹でダコになりそうなので、そろそろ次へ行きます。

 

コースは、道路の方へ一旦戻ります。

 

(○'ω'○)ん?

如光堂がありました。

蓮如さんのお弟子さんだったと思います。

ちょと見に行きます。

 

如光さん

油ヶ渕より出現したとありますね。

昔はこの辺りも海沿いだったようです。

今でも油ヶ渕は、淡水と海水が混じるところです。

その海岸に、幼い子供が緑の藻屑の中、漂着した。

その少年が、蓮如上人の弟子になり、三河地方に浄土真宗を広めたそうです。

 

(-ω-;)ウーン

神話の大国主命と少彦名命のお話に似ているようなw

 

堂内には、如光上人が安置されていました。

 

お寺さんの方へ行きます。

 

(○'ω'○)ん?

ここにも花しょうぶ

 

階段を上がると、本堂が見えてきました。

応仁寺」です。

 

応仁の乱の混乱を避けるため、京都からこの地に来られた蓮如上人。

ここは元々如光上人の実家だったそうです。

 

三河の地で三年ほどの布教をなされた蓮如上人が、

松光山・応仁寺をあとに京都へ戻られる時、

「またいつの日にか戻ってくるだろう…」と言い残された。

以来この寺は住職を置かずに、蓮如上人が戻られるその日を待ち続け、

現在も地元の門徒衆によって大切に護持されている、無住職・無檀家のお寺なんだそうです。

 

油ヶ渕の名の由来。

「人々は、この池に龍燈を捧げて蓮如上人を守り、

その龍燈のもとに人々は集まって、応仁寺は念仏読経のたえることがなかったので、

ここを油淵と呼ぶようになった。」(油ヶ渕遊園石碑より)

 

境内の一画にあったこの建物。

「黒ぼとけ堂」?

一体何だろう。

見に行ってみます。

 

∑(゚∇゚|||)はぁうっ!

みい・?

 

不気味な感じのものが安置されていました。

 

この像を見た子供が、泣き出したという言い伝えがあるこの黒ぼとけさん。

農民の一人が造られたそうです。

 

二一の松?

 

本堂の中へ行ってみることにします。

 

長くなりましたので、続きは又にします。

 

 

コメント
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