今日は 別記事を書く予定だったけど
今朝の庭に咲いていた花を見て
私の大事な思い出を綴ってみることにしました
石斛(セッコク)の花です
今朝 雨が一瞬止んだ隙に庭へ出て
咲いているのを見つけました
雨続きだったら 見ることはなかったかもしれない
白く 美しいこの蘭は
父が育てたものを株分けしてもらってきました
もう 3~4年前
父がまだ元気な頃
一昨年の11月に父は旅立って逝きました
一昨年の今ごろは 半日かけて実家へと
月に1,2回は通っていました
入院すると それが週一回に増えて
仕事をしながら 心身ともにヘトヘトな日々だったなあ
それでも頑張り通せたのは
何より父が病に勝とうと一生懸命生きてくれたから
どんなに辛い治療も 家へ帰るんだという一念で
弱音ひとつ吐かずに耐え抜きました
そんな父が 放射線治療で入院したのが4月初め
父の身体を蝕んだ病は
もはや 残された時間がそうないことを
画像や 血液検査値が物語っていました
後は苦しまず 残された時間を過ごせるよう
決定的な患部だけを焼くための入院でした
父へはもっとポジティブな説明で 納得させました
入院の前日の事
珍しく ドライブへ行きたいと言い出しました
父はその頃 自己導尿していたので
大変なのになあ と思いましたが
母を伴って 父の希望する場所へと向かいました
父が行きたいと言った場所
ここは 私が実家暮らしだったころ
父と釣りへ出かけた場所
この丘の下に 岩場があって
イカ釣りや 冬にはクロダイが釣れる場所です
今は整備された公園のようになっていて
ベンチも置いてあって
父は長いことそこへ座って海を眺めていました
何故にこの場所だったのか
今でも 真意は分かりません
でも確かだと思うのは
きっと 父はもう2度とここへ来ることはないと
分かっていたのだと思います
結局父は 治療を終えても実家へと戻る事はありませんでした
退院から そのまま別の病院へ入院
父の落胆した表情は今でも忘れません
人が絶望する瞬間を生まれて初めて見ました
そのとき父は
私の息子の写真をなでながら
父さんにはもう何も残っていない
この子達しかいないんだよ
そう 泣きながら言いました
身を切られるように辛い言葉で
意地でも家で看ますと言えない自分に
私はなんて親不孝だろうと思いました
今年の春先に 実家へ帰った時に
私は一人でここへ行ってみました
変わらず浮かぶ無人島
なんだか 父のいる世界へと踏み入れたような気持ちになりました
ここは 万葉集の中で
亡き人に会えるとして歌われている町にあります
父に会いたくなったら
ここへ来ればいい
そんな場所として 私の心の中にあります
父を家へと帰してあげれなかったことは
今でも 後悔として残っています
でも 唯一の親孝行かなと思えるのは
最期にここへと連れてこれたこと
父を思い出した梅雨の花でした
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