「思い出の松なのでしょうか?」
砂を踏む雪駄の音に気づくこともなく、松を見遣る桐詠の横に、風流な装いの男が立っていた。
「いえ、少々懐かしい気がしたもので」
何の違和感もなく、いつの間にか寂かに佇んでいた参拝者らしき人に、桐詠は答えた。
「昔見し 松は老木に なりにけり わが年経たる 程も知られて」
「三十一文字(みそひともじ)、あなたも嗜まれるのですか?」
たった一度、それも聞こえるか聞こえないかの声で詠った一首を諳んじたことに驚きながらも、その堂に入った節回しが、紛れもない練達のものであることを悟った。
年の頃なら、二十代半ばといったところだろうか。
青磁色の紐に、墨流しの羽織が、この松と浜の風情に合っている。
実家に暮らしていた頃は、三代にわたって和装で過ごしていたこともあってか、桐詠は隔世の感など抱くこともなく、その風采にしみじみと見入っていた。
「白眉でしたので、ついなぞらせていただきました」
「恭悦です。こちらへはよくいらっしゃるのですか?」
どことなく勝手知ったる場所のような気がして、桐詠は聞いた。
「ええ、ずいぶん前にここから讃岐へ渡ったことがございます。お分かりになりますか?」
「あ、いえ、何となく。初めての場所ではなさそうな気がしましたので」
「そうでしたか。そういえば、先ほどあなたも懐かしいと仰っておいででしたね」
「私のは、これとよく似た松を知っていたもので、記憶が混同したのだと思います」
と言ってはみたものの、どこかこの風景に心当たりがあるような気がしていた。
「それにしても、斯の歌は、まさにこの松から生まれ落ちてきたかのような秀歌でしたね」
そう言うと男は、今方とは違って目を押し瞑り、深け(ふけ)そめた声で、あらためて吟じた。
「これは、情緒溢れる詠唱だ。あなたのために、松が生み与えたように思えます」
桐詠は本心からそう言った。
「わたくしのために、ですか。それは僭越です」
「いえいえ、本当に、何だか怖いくらいの説得力を感じました」
怖いと言うのは少し大袈裟だったが、自分の歌でありながら、これほどまでに誰かに合致することなど経験したことがなかった桐詠は、この出会いに対する縁のようなものを感じていた。
「お褒めいただきありがとうございます」
「これも何かのご縁かもしれませんね。私は、宇野里桐詠と申します。もし差し支えなければ、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「もちろんでございます。わたくしは、住友苗雅と名乗る者です。以後お見知り置きいただけますと幸甚です」
その男の最早武士(もののふ)のごとき、板についた口上を耳にするや、間髪入れない呼吸で、
この世にて また逢ふまじき 悲しさに
勧めし人ぞ 心乱れし
と、弾かれるように桐詠の口から新たな一首が流れ出た。
そしてなぜだか、この歌こそ、今会ったばかりの住友苗雅と名乗る男のために詠まれたもののように思えた。
その流れに乗るように今度は、現代の武士から返礼の一首が詠じられた。
まどろみて さてもやみなば いかがせむ
寝覚ぞあらぬ 命なりける
それはまさに、無類の相性が誕生したような瞬間だった。
その後は、二人、歌も言葉もなく、ただ隣りあいながら海を見つめていた。
『夕方の松』を完結させるための旅だったのだろうか。
それとも、住友苗雅なる歌人との出会いが目的だったのだろうか。
宇野駅に戻り、帰りの時間が遅くなる旨の連絡を宿に入れ、夕暮れの始まる物寂しいホームで、次の列車を待ちながら桐詠は考えていた。
昨日の法金剛院といい、今日の渋川八幡宮といい、単なる偶然で済ませるには奇妙すぎる。
畏怖のようなものはないにしても、自分一人では開くことのできない重い蓋が、自分以外のものによって、少しずつずらされていっている心地である。
そしてその蓋が取り払われた後に訪れることは、果たしてどのようなものなのかを考えると、やはり楽観的なことばかりを当てはめることはできなかった。
もしかすると、とてつもない禍患が待っていることだってあり得る。
ただ言えることは、どちらにしてもそれが現実的なレベルを超えていることだからこそ、すでにこのような奇妙で、非日常的な現象が前触れとなっているのであって、だからこそ、その終着駅が日常的な思考で想像のできる範疇のものではないということである。
日常的な思考で想像できないものであれば考えても仕様がない。
桐詠はそんな少し気だるい頭を連れて、ほとんど埋まることのないであろう、折り返し列車のボックスシートに体を沈めた。
彼同様、他の乗客たちにも、一人ひとりにもれなく四人がけのボックスシートが用意されていたかのごとく、皆一様に進行方向に従う窓際に着席していた。
夕暮れには似合いの控えめな発車ベルに見送られ、岡山駅へ向かう列車は静かに動き出した。
考えても仕様のないことは考えるだけ無駄であり、それこそ理性の欺瞞というものだと思っていたはずなのに、気づけば双子の松によって成就したように思えた一首を思い出していた。
既視感のように思えたシーンを振り返っていた。
そんなことを考えていたら、見るものすべてに既視感が伴ってくるような気がしてきたので、手持ち無沙汰の時間から余計な雑念を生みたくないと、地図の入った鞄に手を入れた。
「明日の行き先でも決めておくか」
無理にでも思考回路を前向きベクトルにするべくそう呟いて、誰もいないシートで遠慮なく広げた。
こうして無機質な地上の図面を見ても、細々と書かれたこれまた無機質な文字が踊るだけで、一向にぼんやりした思考回路は、その焦点を合わせようとしてくれない。
「これでは行き先どころか、自分の居場所すら見つけるのも難儀だな」
トワイライトの窓外も、まばらな車内の光景も、今のアンニュイな桐詠のスイッチを切り替えるには、脆弱すぎる条件だった。
それならばと、気休め半分に上半身を大きく反らせ伸びをした。
すると、頭上の網棚に一冊の読み捨てられた週刊誌が置かれていることに気づいた。
のそのそと立ち上がって、それを手にする。
週刊誌を読まない桐詠だったが、それはまるで、毎週購読しているのではないかというくらいに見慣れたもののように思えた。
「そうか、この既視感もどきの正体は――」
昼間の列車と同じ列車だったのだ。それも同じ車輌の同じ席。
進行方向だけが変わって、それ以外はまったく同じだったのだ。
「これは既視感というには、記憶が新鮮すぎる」
なんでもかんでも都合の良いシンクロニシティのようにつなげようとしていた、浅膚な自分に苦笑しながら、ケバケバしい文字と写真で、ごちゃごちゃに構成されている表紙に目を落とした。
――芸能ゴシップ。
別にそれ自体を揶揄するつもりなど毛頭ない。
それだって一つの仕事である。
それを楽しみにしている人がいて、それを編集している人がいる。
ただそれだけのことである。
しかし如何せん進歩がないのは、週刊誌のネタの方ではなく、人間の本質の方である。
そんなことを思いながら、表紙をめくるでもなく、ただ黒と赤の物体にしか見えない週刊誌を弄んでいた。
「声に出したら、この世で廃る」
という独り言が、自動装置の指示に従ったように発せられると、以前同じことを口にした場面があったことが想起された。
電車の中だっただろうか。
週刊誌を見ていた時だろうか。
いや、通勤途中の電車でもどこでも、週刊誌を目にすることはない。
違う。
もっと生活の中心の場面で、もっと重要な一幕だった気がする。
矢継ぎ早に頭をかすめる可能性が、あまりに生活の外の瑣末なイメージ映像ばかりだったことで、
「これでは、思い出せるものも思い出せやしない」
と諦めかけた、その時である。
「お話があるのです」
気配をほとんど感じさせない、どこか面妖な風情をした黒髪女性が、出し抜けに姿を現したかのように、座席右の通路から声をかけてきた。
(つづく)
砂を踏む雪駄の音に気づくこともなく、松を見遣る桐詠の横に、風流な装いの男が立っていた。
「いえ、少々懐かしい気がしたもので」
何の違和感もなく、いつの間にか寂かに佇んでいた参拝者らしき人に、桐詠は答えた。
「昔見し 松は老木に なりにけり わが年経たる 程も知られて」
「三十一文字(みそひともじ)、あなたも嗜まれるのですか?」
たった一度、それも聞こえるか聞こえないかの声で詠った一首を諳んじたことに驚きながらも、その堂に入った節回しが、紛れもない練達のものであることを悟った。
年の頃なら、二十代半ばといったところだろうか。
青磁色の紐に、墨流しの羽織が、この松と浜の風情に合っている。
実家に暮らしていた頃は、三代にわたって和装で過ごしていたこともあってか、桐詠は隔世の感など抱くこともなく、その風采にしみじみと見入っていた。
「白眉でしたので、ついなぞらせていただきました」
「恭悦です。こちらへはよくいらっしゃるのですか?」
どことなく勝手知ったる場所のような気がして、桐詠は聞いた。
「ええ、ずいぶん前にここから讃岐へ渡ったことがございます。お分かりになりますか?」
「あ、いえ、何となく。初めての場所ではなさそうな気がしましたので」
「そうでしたか。そういえば、先ほどあなたも懐かしいと仰っておいででしたね」
「私のは、これとよく似た松を知っていたもので、記憶が混同したのだと思います」
と言ってはみたものの、どこかこの風景に心当たりがあるような気がしていた。
「それにしても、斯の歌は、まさにこの松から生まれ落ちてきたかのような秀歌でしたね」
そう言うと男は、今方とは違って目を押し瞑り、深け(ふけ)そめた声で、あらためて吟じた。
「これは、情緒溢れる詠唱だ。あなたのために、松が生み与えたように思えます」
桐詠は本心からそう言った。
「わたくしのために、ですか。それは僭越です」
「いえいえ、本当に、何だか怖いくらいの説得力を感じました」
怖いと言うのは少し大袈裟だったが、自分の歌でありながら、これほどまでに誰かに合致することなど経験したことがなかった桐詠は、この出会いに対する縁のようなものを感じていた。
「お褒めいただきありがとうございます」
「これも何かのご縁かもしれませんね。私は、宇野里桐詠と申します。もし差し支えなければ、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「もちろんでございます。わたくしは、住友苗雅と名乗る者です。以後お見知り置きいただけますと幸甚です」
その男の最早武士(もののふ)のごとき、板についた口上を耳にするや、間髪入れない呼吸で、
この世にて また逢ふまじき 悲しさに
勧めし人ぞ 心乱れし
と、弾かれるように桐詠の口から新たな一首が流れ出た。
そしてなぜだか、この歌こそ、今会ったばかりの住友苗雅と名乗る男のために詠まれたもののように思えた。
その流れに乗るように今度は、現代の武士から返礼の一首が詠じられた。
まどろみて さてもやみなば いかがせむ
寝覚ぞあらぬ 命なりける
それはまさに、無類の相性が誕生したような瞬間だった。
その後は、二人、歌も言葉もなく、ただ隣りあいながら海を見つめていた。
『夕方の松』を完結させるための旅だったのだろうか。
それとも、住友苗雅なる歌人との出会いが目的だったのだろうか。
宇野駅に戻り、帰りの時間が遅くなる旨の連絡を宿に入れ、夕暮れの始まる物寂しいホームで、次の列車を待ちながら桐詠は考えていた。
昨日の法金剛院といい、今日の渋川八幡宮といい、単なる偶然で済ませるには奇妙すぎる。
畏怖のようなものはないにしても、自分一人では開くことのできない重い蓋が、自分以外のものによって、少しずつずらされていっている心地である。
そしてその蓋が取り払われた後に訪れることは、果たしてどのようなものなのかを考えると、やはり楽観的なことばかりを当てはめることはできなかった。
もしかすると、とてつもない禍患が待っていることだってあり得る。
ただ言えることは、どちらにしてもそれが現実的なレベルを超えていることだからこそ、すでにこのような奇妙で、非日常的な現象が前触れとなっているのであって、だからこそ、その終着駅が日常的な思考で想像のできる範疇のものではないということである。
日常的な思考で想像できないものであれば考えても仕様がない。
桐詠はそんな少し気だるい頭を連れて、ほとんど埋まることのないであろう、折り返し列車のボックスシートに体を沈めた。
彼同様、他の乗客たちにも、一人ひとりにもれなく四人がけのボックスシートが用意されていたかのごとく、皆一様に進行方向に従う窓際に着席していた。
夕暮れには似合いの控えめな発車ベルに見送られ、岡山駅へ向かう列車は静かに動き出した。
考えても仕様のないことは考えるだけ無駄であり、それこそ理性の欺瞞というものだと思っていたはずなのに、気づけば双子の松によって成就したように思えた一首を思い出していた。
既視感のように思えたシーンを振り返っていた。
そんなことを考えていたら、見るものすべてに既視感が伴ってくるような気がしてきたので、手持ち無沙汰の時間から余計な雑念を生みたくないと、地図の入った鞄に手を入れた。
「明日の行き先でも決めておくか」
無理にでも思考回路を前向きベクトルにするべくそう呟いて、誰もいないシートで遠慮なく広げた。
こうして無機質な地上の図面を見ても、細々と書かれたこれまた無機質な文字が踊るだけで、一向にぼんやりした思考回路は、その焦点を合わせようとしてくれない。
「これでは行き先どころか、自分の居場所すら見つけるのも難儀だな」
トワイライトの窓外も、まばらな車内の光景も、今のアンニュイな桐詠のスイッチを切り替えるには、脆弱すぎる条件だった。
それならばと、気休め半分に上半身を大きく反らせ伸びをした。
すると、頭上の網棚に一冊の読み捨てられた週刊誌が置かれていることに気づいた。
のそのそと立ち上がって、それを手にする。
週刊誌を読まない桐詠だったが、それはまるで、毎週購読しているのではないかというくらいに見慣れたもののように思えた。
「そうか、この既視感もどきの正体は――」
昼間の列車と同じ列車だったのだ。それも同じ車輌の同じ席。
進行方向だけが変わって、それ以外はまったく同じだったのだ。
「これは既視感というには、記憶が新鮮すぎる」
なんでもかんでも都合の良いシンクロニシティのようにつなげようとしていた、浅膚な自分に苦笑しながら、ケバケバしい文字と写真で、ごちゃごちゃに構成されている表紙に目を落とした。
――芸能ゴシップ。
別にそれ自体を揶揄するつもりなど毛頭ない。
それだって一つの仕事である。
それを楽しみにしている人がいて、それを編集している人がいる。
ただそれだけのことである。
しかし如何せん進歩がないのは、週刊誌のネタの方ではなく、人間の本質の方である。
そんなことを思いながら、表紙をめくるでもなく、ただ黒と赤の物体にしか見えない週刊誌を弄んでいた。
「声に出したら、この世で廃る」
という独り言が、自動装置の指示に従ったように発せられると、以前同じことを口にした場面があったことが想起された。
電車の中だっただろうか。
週刊誌を見ていた時だろうか。
いや、通勤途中の電車でもどこでも、週刊誌を目にすることはない。
違う。
もっと生活の中心の場面で、もっと重要な一幕だった気がする。
矢継ぎ早に頭をかすめる可能性が、あまりに生活の外の瑣末なイメージ映像ばかりだったことで、
「これでは、思い出せるものも思い出せやしない」
と諦めかけた、その時である。
「お話があるのです」
気配をほとんど感じさせない、どこか面妖な風情をした黒髪女性が、出し抜けに姿を現したかのように、座席右の通路から声をかけてきた。
(つづく)
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