☆☆☆
人里離れた山道で、迂曲するそれを人生になぞらえ、思索を馳せたくなるのは、人の道理か世の必定か。
御多分に洩れず、桐詠の思考も、重厚な蓋をぎりぎりとずらし切るために、回転速度を上げていた。
実際には存在しなかった矢倉横の枝垂れ桜
庵前の白桜
庵に座る女性の遠い姿と遠い声
届けたかった歌
夢から覚めたあと、慌てて書き留めたメモを思い出し、そのつながりを組み立てながら歩いていた。
この夢の主語は誰になるのか
視界は紛れもなく自分のもの
詠っていたのは庵の女性
果たしてあれは六条だったのか
だとすれば何を詠っていたのか
それが届けることのできなかった歌なのか
誰に届けたかった歌なのか
六条の想い人か
どうして口にしなかったのか
声に出したら、この世で廃る
口にしない理由、届けられない理由は、それか
主語は誰になるのか
やはり六条なのか
彼女の悲恋成就のために、私の選択があったのか
彼女の知っている私の運命とは、彼女のための使命ということか
その使命を果たすための旅ということか
四年前から決められていた選択の連なりだったのか
「いや、そうではない気がする」
ぎしぎしと何かが噛み合っていないような思考が、いよいよ以って止まるに合わせ、
いつしか歩幅の狭くなっていた足も、ゆるゆると止まった。
夢の中で枝垂れ桜に気づいた時のように、何かの気配を感じて左を見遣る。
風化を厭わぬ朱塗りの楼門(ろうもん)が、時を止めたように聳立(しょうりつ)する。
普段なら門をくぐろうとはしない様相の神社だが、不思議なくらい何の抵抗も感じず、吉野水分(よしのみくまり)神社への石段を上って行く。
踏み入れた境内は、ぐるりと高い林に囲まれていて、右手に本殿、左手に拝殿、正面に幣殿という配置の厳かな空間だった。
そうして三方を囲まれた庭には、風に煽られることのない桜が満ちていた。
生き写しのような双子の桜が、淡い花びらをたわわに着込んで静止していた。
これもまた対になるものの予兆か。
法金剛院での不首尾は、欠けていた何かとは、これだったのだろうか。
双子の松のごとき、枝垂れ桜の相似を探すことが、次への連なりだったのだろうか。
滑り落ちる滝を連想しながら、枝垂れの足元から幾何学的色彩を満喫している参拝客を風景にして、桐詠は呟いた。
「それにしても、よく似ているな」
離れたところから見るそれは、全体を的確に捉えることができる。
風景と化した人々を切り取り、枝垂れだけに焦点を合わせると、もはや法金剛院と化す。
今度は、視界の深度を桜から広角へとゆっくり移す。
正真正銘、そこは奈良吉野の山中と覚ゆ。
再び桜に焦点を合わせた世界の中、ピントのずれた風景となった参拝客の層に、ひらりと映った絶対的な存在感。
颯(さつ)と影が差した、透明な輪郭の存在感に桐詠は気づいた。
背景に紛れて、唯一人こちらを向いて立っている。
彼以外の誰にも見えていないような存在が、夢幻世界のように遠近法が破綻して、
クローズアップされた。
「六条――」
静かな笑顔で彼を見つめている。
引き寄せられるように、桜の下へと進み行く桐詠。
何かを口ずさんでいる。
耳に届くには少し遠いくらいの声で、口ずさんでいる。
聞こえぬ耳に調を通わせ、歩みは早まる。
途端、見えない結界に踏み込んだように、寂(しん)としてはっきり届いた。
吹く風の 行へしらする ものならば
花と散るにも おくれざらまし
弾かれるように、彼のなかから対の一首が流れ出る。
尋ぬとも 風の伝にも 聞かじかし
花と散りにし 君が行へを
「お会いできましたね、先生」
安心した顔で彼女は微笑んだ。
「ええ。今度の選択も、間違えずに済んだようです」
チェックポイントの幾つかは残っているものの、ひとしきり安堵の表情で桐詠は答えた。
「よかった。これで、私の使命は全うできそうです」
「使命――」
その言葉で、やはり主語は彼女ではなく自分だったのだと悟った。
桐詠のための、六条の使命だったのだと。
「先生、もう少し歩きましょうか」
吉野の山中にいるには、かなり心許ない格好に見える六条が誘う。
「奥千本――庵と白桜。ですね?」
「はい」
そう言ってゆるりと頷くと、桐詠の腕を引いて歩き出した。
目的の方角を曇りなく見つめて。
陽の傾きかけてきた中、人も動物もその気配をなくした尾根道を、しっかりとした足取りで並び歩く。
(つづく)
人里離れた山道で、迂曲するそれを人生になぞらえ、思索を馳せたくなるのは、人の道理か世の必定か。
御多分に洩れず、桐詠の思考も、重厚な蓋をぎりぎりとずらし切るために、回転速度を上げていた。
実際には存在しなかった矢倉横の枝垂れ桜
庵前の白桜
庵に座る女性の遠い姿と遠い声
届けたかった歌
夢から覚めたあと、慌てて書き留めたメモを思い出し、そのつながりを組み立てながら歩いていた。
この夢の主語は誰になるのか
視界は紛れもなく自分のもの
詠っていたのは庵の女性
果たしてあれは六条だったのか
だとすれば何を詠っていたのか
それが届けることのできなかった歌なのか
誰に届けたかった歌なのか
六条の想い人か
どうして口にしなかったのか
声に出したら、この世で廃る
口にしない理由、届けられない理由は、それか
主語は誰になるのか
やはり六条なのか
彼女の悲恋成就のために、私の選択があったのか
彼女の知っている私の運命とは、彼女のための使命ということか
その使命を果たすための旅ということか
四年前から決められていた選択の連なりだったのか
「いや、そうではない気がする」
ぎしぎしと何かが噛み合っていないような思考が、いよいよ以って止まるに合わせ、
いつしか歩幅の狭くなっていた足も、ゆるゆると止まった。
夢の中で枝垂れ桜に気づいた時のように、何かの気配を感じて左を見遣る。
風化を厭わぬ朱塗りの楼門(ろうもん)が、時を止めたように聳立(しょうりつ)する。
普段なら門をくぐろうとはしない様相の神社だが、不思議なくらい何の抵抗も感じず、吉野水分(よしのみくまり)神社への石段を上って行く。
踏み入れた境内は、ぐるりと高い林に囲まれていて、右手に本殿、左手に拝殿、正面に幣殿という配置の厳かな空間だった。
そうして三方を囲まれた庭には、風に煽られることのない桜が満ちていた。
生き写しのような双子の桜が、淡い花びらをたわわに着込んで静止していた。
これもまた対になるものの予兆か。
法金剛院での不首尾は、欠けていた何かとは、これだったのだろうか。
双子の松のごとき、枝垂れ桜の相似を探すことが、次への連なりだったのだろうか。
滑り落ちる滝を連想しながら、枝垂れの足元から幾何学的色彩を満喫している参拝客を風景にして、桐詠は呟いた。
「それにしても、よく似ているな」
離れたところから見るそれは、全体を的確に捉えることができる。
風景と化した人々を切り取り、枝垂れだけに焦点を合わせると、もはや法金剛院と化す。
今度は、視界の深度を桜から広角へとゆっくり移す。
正真正銘、そこは奈良吉野の山中と覚ゆ。
再び桜に焦点を合わせた世界の中、ピントのずれた風景となった参拝客の層に、ひらりと映った絶対的な存在感。
颯(さつ)と影が差した、透明な輪郭の存在感に桐詠は気づいた。
背景に紛れて、唯一人こちらを向いて立っている。
彼以外の誰にも見えていないような存在が、夢幻世界のように遠近法が破綻して、
クローズアップされた。
「六条――」
静かな笑顔で彼を見つめている。
引き寄せられるように、桜の下へと進み行く桐詠。
何かを口ずさんでいる。
耳に届くには少し遠いくらいの声で、口ずさんでいる。
聞こえぬ耳に調を通わせ、歩みは早まる。
途端、見えない結界に踏み込んだように、寂(しん)としてはっきり届いた。
吹く風の 行へしらする ものならば
花と散るにも おくれざらまし
弾かれるように、彼のなかから対の一首が流れ出る。
尋ぬとも 風の伝にも 聞かじかし
花と散りにし 君が行へを
「お会いできましたね、先生」
安心した顔で彼女は微笑んだ。
「ええ。今度の選択も、間違えずに済んだようです」
チェックポイントの幾つかは残っているものの、ひとしきり安堵の表情で桐詠は答えた。
「よかった。これで、私の使命は全うできそうです」
「使命――」
その言葉で、やはり主語は彼女ではなく自分だったのだと悟った。
桐詠のための、六条の使命だったのだと。
「先生、もう少し歩きましょうか」
吉野の山中にいるには、かなり心許ない格好に見える六条が誘う。
「奥千本――庵と白桜。ですね?」
「はい」
そう言ってゆるりと頷くと、桐詠の腕を引いて歩き出した。
目的の方角を曇りなく見つめて。
陽の傾きかけてきた中、人も動物もその気配をなくした尾根道を、しっかりとした足取りで並び歩く。
(つづく)
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